『グリーンブック』は如何に白人のためのガイドブックとなったか

 『グリーンブック』を観た。単純な娯楽映画、ヒューマンドラマとして見るならば、笑えて泣けて、良くできた作品といって差し支えないと思う。

 しかし、一方ではスパイク・リーをはじめとして、アカデミー作品賞となった本作の価値に異を唱える人も少なくない。その理由はひとえに、この映画の持つ「白人向け」然としたストーリーにあるのだが…。

 

1.安心設計の白人キャラクター

 これは『それでも夜は明ける(原題:12 Years a Slave)』においても同様の批判があったように記憶している。要するに、奴隷制や黒人差別の問題を描くとき、現代の感覚を持つ白人からして共感可能な、”善良な白人キャラクター”を配置するかどうか、という話だ。

 苦難の道を歩んできたアフリカ系アメリカ人奴隷制や差別というものを描くとき、そこには恐怖や悲哀、社会への怒りといった感情が色濃く反映されている。そこに親切な白人なんて幻想は介入しようがない。しかし、一方でビジネスのことを考えたときには、白人観客が安心して見られるよう、往々にして善意に溢れた白人キャラクターが登場する。『それでも夜は明ける』におけるブラッド・ピットであり、『グリーンブック』においてのヴィゴ・モーテンセンだ。これは”白人の救世主”と呼ばれるキャラクター類型であり、ハリウッド映画の典型的な”あるある”と言える。

 『グリーンブック』は実話ベースだから仕方がないだろうと思われるかもしれない。しかし、この映画の原作はトニーの息子が書いたものであることに加え、ドン・シャーリーの遺族は『グリーンブック』で描かれる二人の関係性について「誇張しすぎだ」と批判している事実を考慮すれば、そう簡単に割り切ることもできない。*1

 であれば、今日、そのような”ハリウッドの伝統”たる、今まで何度となく作られてきた、白人に都合の良い「異人種間友情モノ」映画を作る意義とは何か、オスカーを与える意義はあったのか。そういった問いが投げかけられるのもしかるべきだろう。

 ここで思い出すのは、昨年公開されオスカー確実と謳われたものの、ノミネートすらされなかった映画『デトロイト』である。白人の監督(キャスリン・ビグロー)ながら、白人警官に囲まれて生きる黒人の恐怖を生々しく描いており、Black Lives Matter運動の吹き荒れる現代においても地続きの問題を取り扱っている。これは、大いに主観にもとづく邪推にすぎない。しかし、なぜ『デトロイト』がノミネートすらされず、『グリーンブック』が作品賞を与えられたのか。それを考えたとき、自分にはどうしても『デトロイト』には「安心設計の白人キャラクター」がいなかったから嫌われたのだ、としか思えない。

2.トニーというキャラクターの曖昧さ

 ここで一度、トニーというキャラクターの描き方について考えてみたい。

 まず、自分が疑問に感じたのは、トニーがどれほど黒人に対して差別意識を持っていたのか判然としない、という点だ。確かに序盤、黒人の使ったコップを捨てるというシークエンスで、トニーの持つ差別感情が印象づけられる。面接シーンでは、インド系らしき従者のことを「チンク」と呼んで軽んじるなど、やはり有色人種への差別意識を覗かせる。

 このように、確かに、トニーの持つ差別意識が読み取れるシーンもある。一方で、面接シーンを思い返してみれば、普通にドン・シャーリーと握手をしているし、面接後に立ち寄るレストランの店員のアジア人とは自然体で会話しているなど、どうもゴリゴリのレイシストという感じはしない。また、旅の序盤には黒人と一緒にギャンブルをしてはしゃぐ場面があったり、劇中一貫してドイツ人に対してステレオタイプな偏見を持っているところもあったりと、はじめから、単に粗野で無知で直情的な憎めない白人くらいにしか描かれていないようにも見える。

 そのようなキャラクター造形の曖昧さは、次の3点の問題を引き起こしている。①トニーにはじめから”適度”な差別意識しかないこと、②そうであるがゆえに、トニーが特に改心をしたり、禊を受け入れたりするような瞬間も描かれないこと、③トニーの親族も簡単に改心しすぎで、トニー周りの差別意識問題を”人情噺のバイブス”だけで解決している雑さ。

 『グリーンブック』擁護派は「普通の人々の自覚なき差別心に気が付かせるきっかけ」として、この映画を評価しているらしい。*2なるほど、確かに「日本には差別なんてない」とのたまう日本の観客の方々には、いい「きっかけ」になるかもしれない。しかし、本国アメリカの黒人の立場からすると、「一緒に旅をして仲良くなったから差別心はなくなったよ」「それを伝えたら周りの人も差別をやめてくれたんだ」というイマサラかつお花畑なストーリーの映画が作品賞となれば、落胆するのもやむをえず、といったところだろう。

3.問題の矮小化

 ともあれ、上記の指摘は、あくまでもプロット上の問題について。この映画に自分が抱く不信感は、もうひとつ、その問題と微妙に隣接したところにある。それは、差別を引き起こしている「システム」というものへの視点の欠如だ。

 

 現代のアメリカは”カラーブラインド”だと言われている。要するに、「昔のように黒人だからといって殴られることもないし、職を得られないなんてこともない。人種差別はなくなったんだ。」、という考え方である。これは、一面的には事実かもしれない。確かに、肌の色を理由とした差別は、少なくとも公然に行われることはタブーとなった。だが、アメリカの人口比に対する、刑務所の囚人に占める黒人の割合は突出して高いし、ゲトーに象徴される黒人の貧困は未だに解消されていない。これをどう見るか。カラーブラインドであるから、犯罪も貧困も個人の責任である、というのは容易い。しかし、それらは構造的に作られてきた「システム」の問題でもある。

 例えば、新自由主義的政策の中で、福祉の機能を刑務所に移管し、軽微な罪を極端に取り締まる"ゼロ・トレランス政策"のもたらす”監獄社会”化は、黒人の犯罪率を高める要因となっている。警察は治安の維持ではなく、罰金の徴収による予算の確保を自己目的化し、過剰な取り締まりを行うようになる中で、白人が多くを占める警察においては、その対象となるのは黒人である。もちろん、警官が路上の身体検査を行う上で、人種だけを理由にターゲットを定めていると特定することはできない。しかし、薬物を例にとれば、人種を問わずその所持率は大差ないのに対し、黒人ばかりが身体検査のターゲットとなるため、その犯罪率が実情よりも高くなっている。ここで厄介なのは、実際に黒人も罪を犯しているという点だ。

 要するに、罰金の徴収を自己目的化した警察組織が警官をアグレッシブな取り締まりに駆り立て、その歪みを引き受けているのが黒人であり、そして、そのようにしてかさ増しされた黒人の犯罪率の高さは、社会に「黒人は危険である」という意識を植え付け、黒人に対する警官暴力を加速させるというサイクルが存在するのだ。*3

 

 本題に戻ろう。黒人に対する抑圧は、何も白人の”お気持ち”的な差別だけが原因ではない。『グリーンブック』の劇中でも、南部のレストランで「私は差別主義者ではないが、黒人をここに入れないのは伝統、決まりなんだ」と追い返されるシーンがある。恐らくそれは一つの真実だ。彼らは黒人が嫌いで差別行為を働いたのではなく、決まりに従っただけなのだ。この映画では、”システム”のもたらす抑圧に、そこで一瞬、近づきはする。だが、結論は「差別は白人の気の持ちようで変わるんだ」というありきたりで、黒人を置き去りにしたものへと収束する。

 上述した”カラーブラインド”と”監獄社会”の話は、現代に蔓延る黒人に対する抑圧が、そんな単純な差別意識を超えた先にある問題であることを示している。であれば、”システム”の問題から目を逸らし、”感情”の問題に終始するのは、白人に対して手軽な処方箋、いやさガイドブックを手渡すようなものだろう。

 

 

 

 

 

*1:

「グリーンブック」の作品賞受賞に異論噴出 米アカデミー賞 - BBCニュース

*2:

『グリーンブック』否定論への疑問 ─ 「入り口」になる映画はいつの時代も必要だ | THE RIVER

*3:藤永康政(2015)「ファーガソンの騒乱 : 「監獄社会」と21世紀の人種主義」アメリカ史研究(38)、日本アメリカ史学会/ロイック・ヴァカン著 ; 森千香子, 菊池恵介訳(2008)『貧困という監獄 : グローバル化と刑罰国家の到来』新曜社、などに詳しい

2018年各新作映画についての雑感①

2018年に見た新作映画への適当ひとこと感想。

 

デトロイト

白人が郊外に脱出したデトロイトダウンタウンで巻き起こる最悪の事態。ねっとりとしたドキュメンタリックなカメラワークもいいが、やはり演技。ジョン・ボイエガはどうしてもSWのフィンのイメージがあったから、こんなにシリアスな役もうまいのかとびっくりした。Black Lives Matterに呼応する、今作られる意義のある映画だったように思うが、アカデミー賞レースからは完全に無視。なんで?

 

『レディ・プレイヤー・ワン』

嫌いではないけれど、それほど熱心に好きかと言うと微妙。日本のアニメ(例:ヲタ恋)もそうだけど、とにかく顔のいいオタクしか出てこないのがTHE 欺瞞という感じで、まぁ~いけ好かんわな。個人的には、あまりゲームをやらない人間なので、微妙にノリ辛かったのもマイナス。『シャイニング』のオーバールック・ホテルの再現のところは素直に好き。

 

シェイプ・オブ・ウォーター

自分にとっては、そこまで語ることもないかな~という印象。ただ、冷戦構造化のアメリカ社会が背景にあるというのが、個人的にとてもポイント高い。郊外家と一軒家、モータリゼーション、”男らしさ”に縛られる男性と女性に求められる貞淑さ、等々。

 

孤狼の血

ヤクザ映画。とりえあずこういう映画を予算かけて作ってくれるだけでうれしい。

 

『バーフバリ:王の帰還

ふつうにおもしろかった。

 

『バース・オブ・ネイション』

思っていたよりも普通。トロント国際映画祭で配給権が史上最高額(たしか)、『国民の創生』と同じタイトルをつける挑発的な姿勢など、かなり話題になったものの、監督かつ主演かつ脚本のネイト・パーカーの大学生時代のレイプ疑惑で一気に鎮火して賞レースにも相手にされず、という本作。期待値は高く、だからわざわざ海外版のDVDまで買ったわけだが、正直肩透かしを食らった。まず、ナット・ターナー(奴隷反乱の首謀者、主人公)をキリストになぞらえるのはいいけれど、それ脚本書いたのも演じるのも自分ってどうなんだという、メルギブじゃないんだからさ…。ゴアな拷問シーンがあったり、最後は処刑されてさらし者になって終わるのもメルギブっぽい(史実だからネタバレじゃないよね)。ショットに厚みがないとか、まあ言ったらきりがないんだけど、映画作家としてはまだまだなんじゃないかなあ、と思わされた映画。

 

『シュガーラッシュ:オンライン』

リベラル、あるいは知的エリートの驕り。途中で退屈してウトウトしちゃったのもあるけど、とかくあまりいい印象のない映画。本当に『ズートピア』と同じ監督、脚本なのか…。

退屈という部分に関していえば、サスペンスが不足していたことが原因だろう。『ズートピア』が違う性格の2人がコミュニケーションを通してコンビ結成に至るまでの話だとすれば、『シュガーラッシュ:オンライン』は違う性格の2人がすれ違いを通してやっぱり…とコンビを解消するまでの話である。それでワクワクしろという方が無理だ。あとは、単に、「事件」とその「解決」というストーリーの軸が、『ズートピア』の方がきっちり作ってあるとこ。

それでもって、この映画のどこに自分がリベラルのヤダみを感じたのかだが、描写の生々しさが原因なのではないかと思う。考えてみれば『ズートピア』と『シュガーラッシュ:オンライン』はかなり似通った構造を持っている。どちらも「女の子が自分のなりたいものになるために、故郷を出て都会で夢を叶えようとする中で障害にぶつかっていく」お話だ。しかし、『ズートピア』の方がかなり寓話性は高い。なぜなら、『ズートピア』における田舎と都会の対比は、どの国や地域においても一般化し得る程度の描写に留まっているからだ。均質で、ともすれば保守的な田舎と、様々な人種、階層の人々が入り乱れる都会。対する『シュガーラッシュ:オンライン』はどうだろうか。こちらにおける田舎とは、こじんまりとした衰退していくばかりのゲームセンターであり、都会とは、時代をリードする巨大なIT企業の集積するインターネット世界である。意識的なのか、無意識的なのかは分からないが、自分の目には、これはシリコンバレーとラストベルトのメタファーにしか見えなかった。であるならば、いつも通りの日々が続いて欲しいと願うラルフの切実さ、故郷を出て都会に出ていくヴァネロペへの嫉妬は、「時代は変わっていくんだからさ」「友達なら足を引っ張るようなことしちゃあいけないよ」なんて分かりやすいメッセージで納得させられるほど軽薄なものには思えないのだ。また、ラルフが自分が望むものになれない、ヴィランとしての生を受け入れるしかない存在なのに対し、ヴァネロペは、バグであるが故に自由に生きられる、そして特殊な才能を持ったchosen oneだ。それがシリコンバレーに行くから、アンタはもう元トモね、なんて話ではなんとも釈然としない。一応、インターネットでいつも繋がってるからアタシたちは変わらず友達だよ、と救いはあるかのように見せているが。ただ、現実として、インターネットが発達したからといって、大学生になってから高校の友達とどれほど会うの?という話である。断言する。絶対に自然消滅する。情報化が進めば進むほど、実際に顔を合わせたコミュニケーションの価値は高まるのだ。ディズニー映画にこんな例えを用いるのもなんだが、NTRにしか見えないシーンが多々あった。

長くなってしまったが、この映画から感じる最大のリベラル的なヤダみは、まさしく西海岸ハリウッドのリベラルなディズニーのクリエイターが作っているという点だろう。つまり、ヴァネロペ側の人間だ。自分自身は、それなりにリベラルな価値観を信じているつもりだが、これじゃあ分断も深まるよ、と悲しい気持ちにしかならなかった。

 

2018年映画ベスト10

前の記事でまとめましたが、今年に見た新作映画は59本っぽいです。

去年まとめたときは、一応「Sがオールタイムベスト級」で「Aはその年のベストテン級」で、というようなことを書いていましたが、正直見終わったときのテンションでなんとな~くポチっとしてるだけなので、そんなに細かい意味はありません。

あまり長く書くと言い訳がましくなっちゃいますが、元々優柔不断な正確で、ビシっと点数をつけたりなんかするのが苦手なので、だいたいこんな感じだよというくらいのバイブスで。Bまでは結構お気に入り、Cでも普通に嫌いじゃないよ、というライン。ベスト10も同様、明確に順位があるというわけではないです。前年もそうでしたが、このランキングは基本的に抱き合わせ受賞みたいな感じ。

 

 

10位『ウインド・リバー

テイラー・シェリダン脚本&監督の、『最後の追跡』『ボーダーライン』に続く現代アメリカ辺境3部作の締めに当たる1本。テイラー・シェリダンが引き続き脚本を務めた『ボーダーライン:ソルジャーズデイ』とのセットです。個人的に、どんどんめでたいシリーズになっている『ボーダーライン』(こっちも全然好きなんですが)よりも、『最後の追跡』くらいの落ち着いた感じが好きだったので、そっちに雰囲気の近い本作は好み。

アメリカで人里離れた田舎といえば荒野がイメージされますが、これは静寂な雪山が舞台。寒々しい景色、常に不穏な空気が漂ってる中で、中盤とクライマックスの2回、効果的にバイオレンスシーンが使われています。特にクライマックス、採掘場に乗り込んだところの「あれ、なんで君らフォーメーション組んでるの?」みたいな変な雰囲気もいい感じなんですが、そこからの回想シーン。犯人グループのイヤ~なホモソーシャルノリの悪ふざけ(「うぇ〜いwほらほらw」「やめろって」「うりうり〜w」「やめ、ちょ、しつこいぞ!」「は?なに?キレてんの…?」みたいな感じ)があらぬ方向に走り出して、やがては取り返しのつかない暴力にいたる事件の顛末。そこから時計の針が現在に戻り最後の戦いへ…という流れで、全体を通しての起伏は少ないように思いますが、ラストに向けてのエモーションの揺さぶりとカタルシスを生むバイオレンスが最高。やっぱりヴィジランティズムしかないよin西部、という映画。

 

9位『フロリダ・プロジェクト』

何かとの抱き合わせ、という感じではないんだけど、今年は家族についての映画が多かったので、そんな感じの1作。強いて抱き合わせるなら『アイ、トーニャ』とか、貧乏白人モノ?。どちらもどうしようもない現実にあって、決して褒められた人たちじゃないし、もっとやりようはあったろうと言えるかも知れないけど、頑張って精一杯生きようとして、その中に一瞬の煌めきが確かにあったんだなあ、としんみりした映画。なんか「母親がふざけすぎ」とか「ちゃんと働け」とか文句垂れてるニンゲン多いけどさぁ、そういう話じゃねーだろバカ、ということですよ。やっぱり一社会不適合者として、うまく"正しい"人間社会のシステムに乗っかれなかった、そこから外れちゃったけど、それでも自分の1番大切なもの(『フロリダ・プロジェクト』では娘、『アイ、トーニャ』ではスケート)だけには本気で、手放すまいとする彼女たちを見て、何故罵れようか!お前には分からねーのか?!一生あったかい部屋で〇井〇二の映画見てろバカ!

 

8位『へレディタリー/継承』

 「家族という呪い」映画。練りこまれた脚本とか豊かな画とか、ショッキングなシーンとか演出とか演技とか、なんやかんや最後にカタルシスが生まれるところとか、まぁとにかく良質な映画だったように思います。個人的な話をすると、とにかく主人公?の息子に感情移入するポイントが多かったので、そこのところが印象に残ってます。日本ではどうなのか分かりませんが、どうやらアメリカだと「これはミソジニー映画だ!」と叩かれてもいるようです。確かにそういう側面もあるとはいえ、しかし、監督にこの映画を作らせた動機が伏せられている以上、そんなズケズケと断罪するのはどうかなと。自分がすんなりとこの映画を受け入れられた理由のひとつに、実際に母権的な家庭の中で育ったことがあります。フェミニストの方々が男性原理社会の中で息苦しさを感じるように、母権的な社会(家庭)で育ち、自分よりも目をかけられる兄弟の傍らにあった身として抱えてきた息苦しさは、どうしてもこの映画で描かれるそれとシンクロせざるを得ない。

あと、今年色々映画を見て気がついたのは、自分が”いたたまれないシーン”が好きだということですね。『へレディタリー』だと、パーティに行くときの「妹も連れてってあげなさい」「…は?」みたいな会話とか、某事故のあとの食事シーンのカチャカチャフォークで食い物いじりながら「……、なに?なんか言いたいことあるの?」「はぁ~、別に?」「えぇ…」の流れとか、嫌だな~と思いながらも、ああいう雰囲気ってあるな~と笑ってしまいそうになります。『ウインド・リバー』もそんなシーンがよかった。

 

7位『ザ・スクエア 思いやりの聖域』

正直な話、逆張り選出。いや、もちろんめちゃくちゃ好きな映画なんですけど、ただ『バーフバリ』とか『レディ・プレイヤー1』とか『カメラを止めるな!』とか、みんな好き(僕も好きだけど)な映画ばかり「これも面白かったね~」みたいに盛り上がってると、こういうのを入れたくなってしまうというか…。

何が良かったかというと、上で言及した、”いたたまれないシーン”だけで全編出来ているような映画だってところ。誰しも思い当たるような人間の恥部を暴き立てるような映画なので、例えば助けを求めるホームレスを尻目に行き交う人々とか、そういう意味でスウェーデン映画だけれども日本人にも当てはまるような、現代社会に対する批評性がある。タイトルの”ザ・スクエア”というのは、舞台となる美術館の特別展示のことで、「この四角の囲いの中では他者に対する思いやりを持ちましょう」というコンセプトで設置されている。美術館の責任者である主人公は、社会的メッセージを発信するアートなんかやっちゃうくせに、他人のことなんて考えていない薄っぺらな男。そんな男の自己中心的なふるまいが、ゆくゆくは自分の首を絞めていくというストーリーを通して、「じゃあ”ザ・スクエア”の外側では他人を思いやらなくていいんですか?」とタイトルが回収されていく。

とてもイジワルで、そういうところにニヤっとする映画でもあるんだけど、とかくその批評性にヤダみを感じる人も多いみたいですね。しかし、「自分を棚に上げて上から目線で社会を風刺している」という評(映画のタイトルをGoogle検索したらトップに出てきたブログに書いてあった)は全くの見当はずれ。なぜなら、この映画は『ザ・スクエア』というタイトルをつけている点で、まさに自己言及的だから。「アーティストが”ザ・スクエア”を通して社会的なメッセージを発信したとて、(私も皆も、)その枠の外側でも他者に思いやりをもって接しなければ意味はない」というメッセージは、そのまま『ザ・スクエア』と名付けられた、四角いスクリーンに映し出されるこの映画についての話でもある。であればこそ、観客に「カンヌ映画祭だとか高尚ぶって、社会に問題提起する映画見て立派だけれども、実生活ではどうなのさ」と問いを投げかけることができるし、このタイトルを付けてる時点で、恐らく監督も”そういう自分”にも自覚的なんだろうと思う。

なんだかめんどうくさい話になってしまったたけど、基本的にイジワルなユーモア盛りだくさん映画なので、そういうのが好きな人にはおすすめ。あと、スウェーデンにもセブンイレブンあるんだね。

 

6位『万引き家族

 疑似家族もの。実家族の中で疎外感を抱える人間としては、やっぱりこういう映画に救いを見てしまいますね。

如何せん、現在の日本社会が抱える問題全部盛りという感じで、ある種の嘘っぽさもなくはないんですが、子役の上手な使い方やセットの作りこみなど演出力の高さで、この都会の片隅に身を寄せ合って暮らす人々の生活感が生み出されています。

ともかく、”普通の社会”や”普通の家族”に溶け込めなかった人たちの話です。終盤には”普通”の人々の象徴として警察やマスコミが登場し、その”正しさ”を振りかざしてくるんですが、実際には”正しさ”では救われないこともある。彼ら彼女らは、あの歪な共同体の中で輝きを取り戻していたわけですが、歪であるが故に、いつか破綻することも目に見えているという切なさたるや。そして、この映画のテーマは万引きそのものや貧困ではなく、実のところ(貧困が理由で)万引きをするシーンはさほど多くないし、万引きという行為が物語の推進力を担っているわけではない。この映画における万引きという行為は、あくまでも、あの家族を共犯関係にせしめるマクガフィンにすぎない。しかし、一部の残念なネットユーザーたちが映画を見もしないで「犯罪者を主人公にした映画なんて作るな!」と、まさしく”正しさ”という御旗のもとに気に入らない物を攻撃していたのは、笑えないメタなジョークのようで、なんとも悲しい気持ちになりました。

あとは松岡茉優が良いですね、ジャニーズと付き合ってるらしいけど。

 

5位『レディ・バード

処女・童貞的自意識映画。『勝手にふるえてろ』との抱き合わせ受賞。女性版『スーパー・バッド』みたいな映画。結局こういうのが好き。シアーシャ・ローナンといい、松岡茉優といい、なんとも絶妙に突いてくるのがズルい。

個人的には『ヘレディタリー』とか見て喜んで家族に対する呪いを吐き出す自分の中でのバランス取りとして、たまにこういう母親への感謝で締めくくられる映画を見るとやっぱり思うところがあるというか…。

 

4位『若おかみは小学生!

 関織子さんが頑張っている姿を見て脳をシャキッとさせる映画。結局『ペンギン・ハイウェイ』とかTwitterで過剰に盛り上がってただけで、こっちの方が断然アニメーションしてるアニメ映画。やっぱりジブリ仕込みだな~という水とか食べ物とかの作画がよかったです。記号的消費をやめろ。

1人の少女の成長譚として、セラピー映画としてもよかったんですが、自分としては「他人に対するサービスを通して自他に変化を促がす」というテーマに『大統領の執事の涙』と近いものを見ました。

2018年『若おかみは小学生!』を見てないオタクは全員FAKE。『若おかみは小学生!』を見て上部構造と下部構造に思いを馳せろ。

 

3位『ブラック・パンサー』

 ブラックムービー枠。今年(2018年)見たブラックムービー→『ブラック・パンサー』『デトロイト』『私はあなたの二グロではない』『バース・オブ・ネイション』。

女性映画としてフィーチャーされた『ワンダーウーマン』をそれなりに期待して見に行ったらガックリ来たので、どうせ黒人映画という政治的な文脈で過剰に評価されてるんでしょとハードルを下げ切って見に行ったら最近のマーベルの中でも抜群に面白かった。月並みな感想ですが、やはり、これ1作でMCUからは切り離して見ることが出来るというのは大きいですね。MCUという文脈を超えて、ヒーロー映画の傑作と位置付けられるというか。あと、ヒーロー映画の陥りがちな点として「悪役のための悪役」がありますが、『ブラック・パンサー』ではキルモンガーが最高にダークヒーローしててカッコイイのもプラス。

このキルモンガーというヴィランの面白いところは、ヒーローであるティ・チャラが”ブラック・パンサー”なのに、思想面ではキルモンガーの方がブラックパンサー党と同じことを主張しているという点ですね。対するティ・チャラの思想は、閉じられたワカンダの中の平穏を守ろうとする自国第一主義で、トランプ大統領に対する批評的な視点が込められています。ここにゲトー育ちのキルモンガーと裕福な王子のティ・チャラという対立があるわけですが、この「アメリカの外で育ったが故に抑圧されてきた歴史を持つアメリカ黒人とシンクロできない黒人」というのは、実はオバマ前大統領のことでもあるのではないかと思います。現実においても、穏健派のオバマに業を煮やして、よりラディカルなBlack Lives Matter運動が起こってきたわけで、そういう現状に対する黒人の葛藤の落としどころの映画なのかなと。

2017年も『ゲットアウト』をブラックムービー枠で4位にしたわけですが、2019年も『ブラック・クランズマン』や『ビールストリートの恋人たち』などブラックムービーがアツそうでうれしい限りです。

 

2位『1987、ある闘いの真実

『タクシー運転手』と『ペンタゴン・ペーパーズ』との抱き合わせ。ジャーナリズム映画セット。細かいことを抜きにしても、サスペンスとしても、歴史・政治劇としてもめちゃくちゃよくできていて、これが製作費150億ウォンというのもすごい。15億円でこれだけいいもの作れるのに、日本映画何やってんの?あと、登場人物がとにかく渋くて格好いい。俺も酒飲みながら警察に歯向かう検事になりたい。

 いつだか、『ペンタゴン・ペーパーズ』について、Twitterの賢いお方が「中国やロシアだってわけでもないのに、アメリカくらいで表現の自由が、ジャーナリズムの意義が、とか言ってもねぇ」と冷笑していたのを見ましたが、そういうことを言ってると、いざという時に何もできなくなるぞ、という話なんですよ。『1987』も『ペンタゴン・ペーパーズ』も、本当に危険だった、いざという時にちゃんと戦ったからこそ、今の民主的な社会を保てていて、そして次にいつまた同様の危機が訪れるか分からないからこそ、スピルバーグ監督なんかはこの映画を通してエールを送っているわけで…。

まあ、2018年も面白そうな韓国映画はたくさんやっていたんですが、なんやかんや劇場でかかってるのでは、『1987』と『タクシー運転手』のほかには『THE WITCH』しか見られなかったのが心残りでした。(特に『犯罪都市』が見たかった)

 

1位『スリー・ビルボード

省略。一回ブログに書いたし、今(2019/01/13現在)言及したら負けな気がする。

2018年(日本で公開された)映画の視聴まとめ

S  スリー・ビルボード 

A+ ブラックパンサー 1987、ある闘いの真実  若おかみは小学生!

A  デトロイト ペンタゴン・ペーパーズ フロリダ・プロジェクト 孤狼の血  へレディタリー

A- バーフバリ:王の帰還 シェイプ・オブ・ウォーター  レディ・プレイヤー・ワン タクシー運転手 アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー  ザ・スクエア/思いやりの聖域 アイ、トーニャ レディ・バード 万引き家族 ウィンド・リバー  ボヘミアン・ラプソディ  ボーダーライン/ソルジャーズデイ  ローマ 暁に祈れ 私はあなたのニグロではない

B  勝手にふるえてろ 君の名前で僕を呼んで ピーターラビット デッドプール2 カメラを止めるな! スターリンの葬送狂想曲 アントマン&ワスプ 検察側の罪人  アンダー・ザ・シルバーレイク  サーチ  来る

C  15時17分、パリ行き リメンバー・ミー 仮面ライダーアマゾンズTHE MOVIE/最後ノ審判 インクレディブル・ファミリー ペンギン・ハイウェイ ザ・プレデター ライ麦畑で出会ったら  華氏119  ヴェノム  THE WITCH  マンディ  斬  アナイアレイション-全滅領域-  サイコキネシス/念力 シュガーラッシュ:オンライン  バース・オブ・ネイション RAW/少女のめざめ

D キングスマン:ゴールデン・サークル パシフィック・リム/アップライジング ハン・ソロ フリクリ/オルタナ 愛しのアイリーン  マザー! 

E サニー/32  フリクリ/プログレ

 

※『ROMA/ローマ』『アナイアレイション -全滅領域-』『サイコキネシス -念力-』はNetflix公開、『マザー!』はAmazonPrime公開

※『私はあなたのニグロではない』は2018年に劇場公開されたけど見に行けず結局AmazonPrimeで購入した

※『勝手にふるえてろ』は公開日は2017年内だけど、まあ年末に公開されたので、2018年の映画に含めました

※『バース・オブ・ネイション』は日本での劇場公開が流れ、結局ソフト化の話も聞かないので渋々ドイツ版のDVDを買った。結局その数ヵ月後に日本版のDVDも発売されたので2018年の映画に含めた。

アカデミー作品賞受賞(仮)作品『スリー・ビルボード』について

タイトルにスリー・ビルボードと銘打ってるけど、2018年に入って2ヶ月経ったので、普通にこれまでに見た映画の感想の総括。年末にランキングをつくろうにも、まとまった記録をつけていないと記憶がアヤフヤすぎてどうにもならなかったので、今年はある程度こまめに記録していきたいと思います。あと、去年ぼちぼちブログを書いていて気がついたんですが、タイトルに映画の名前を入れるとやたら閲覧数が増えます。

 

全体的なことを言うと、この2ヶ月の間で観賞した映画の総数は28本、劇場で観賞した数は8本になります。1月はめっちゃくちゃ忙しかったので、ほとんど2月に入ってから。2月だけだと一月で22本見ていることになるので、なかなかいいペースだと思います。劇場で観賞した映画は、キングスマン:ゴールデン・サークル、新感染、ソウル・ステーション パンデミックデトロイトスリー・ビルボード、バーフバリ 王の凱旋、勝手にふるえてろ、サニー/32、の順で、そこらへんの感想を適当に書き散らしていく。

 

キングスマン:ゴールデン・サークル

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まあ悪くはないんだけど、という感じ。実際2時間半近くある上映時間でもそんなに退屈しなかったし。ただ、前作がぶっとびつつもよくできていたというか、まとまっていたというか、ひとつの作品として完成度が高かったことを考えると、今作は凡百のアクション映画でしかなかったという印象。

決定的に前作と比較して劣っている点といえば、敵に魅力がなさすぎること。前作では衝撃的なシーンで登場して一目で分かるカリスマ性のあったソフィア・ブテラ演じるガゼルですが、今作の敵はチャーリー。前作で死んだと思われた鼻持ちならない気取った金持ちの落第生。見た目に華があるわけでもなく、武器といえばガチャガチャしたロボットアーム、特にひねりもなく悪堕ちしてましたってなことで、最初のシーンだけ噛ませ犬的に使うのかと思えば最後までコイツが出張ってくる。でも噛ませ犬にしか見えないし、だってキングスマンの試験にあんな醜態晒して落ちた奴、どんだけ強かろうが緊張感ゼロでしょ。他にもステイツマンが活躍しないとか、チャニング・テイタム退場早すぎとか、頭撃たれてもそれで復活とか流石にどうよとか、ポピーもヴァレンタインに比べたら色々扱いが雑すぎるとか、ロキシーあっけなく死にすぎとか、マーリンの死に様もやっつけ感がとか、そもそもキングスマンってハリーとマーリンとエグジー以外無能しかいないのかとか、言ったらキリがないけど、この続編を見せられてもユニバース化しますと言われて手放しに喜べませんわな。日本を舞台にしてニンジャマンとか言い出すくらい突き抜けてくれたら、もうそういうもんだと受け入れられるかもしれない。

 

『新感染』&『ソウル・ステーション』

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年明けてすぐに早稲田松竹で同時上映されていたのを見ました。去年のうちに見ておきたかったですねほんと。今年のランキングに入れることはないと思うけど、去年見ていたら多分入ってた。アトミック・ブロンドと入れ替え。哭声と比べてどっちが好きかというと難しいんですね。良くも悪くも新感染は韓国映画臭がしないっていうか、文句なしに世界レベルで、その点哭声は間違えて田舎の変な村に迷い込んだようなおどろおどろしさとか、ガシャガシャ鉄の器で食事するシーンとかモロに韓国映画~!って感じで、そこがやっぱりいいんですよね。

新感染のどこが優れているかといえば、そのメッセージ性というか、表現しようとしていることにあると思います。もちろんジャンル映画的な、それを作ること自体へのこだわりだとか、単にやりたいことをやりましたという映画がダメだというわけではありませんが、やはり現実に還元できるものがあってこそ名作たり得るとも思うわけです。逆に、日本映画界に跋扈している漫画原作のくっだらない実写化作品みたいな、そこそこ売れてる原作に流行のアイドルをあてがってデートムービーでございと手堅くペイさせてもらいますみたいな映画ほどくだらんものはないんですよね。対してマーベル作品が中々すごいのは、あれだけのビッグバジェットなのに、若手のぎらぎらした監督に任せてるところでしょうかね、そこらへんのバランス感覚がMCU帝国を成立させてるんだと思う。

話が反れましたが、新感染の表現しようとしているもの、それは「大人になること」あるいは「男になること」でしょうか。昨年、見ていなかったのであまり情報は入れていなかった自分でも、なんとなくそこらへんは漏れ聞こえてきていたので、今更それを自分が語るまでもないと思いますが、実際に見てみるとなかなかどうしてうまく描かれていたので感動しました。イケメン野球部員のヨングクはジニの好意に気がついていながら、スカした態度でそれをかわし続ける素直になれない童貞だったわけですが、ジニがゾンビになったことではじめて、相手を抱き寄せ、受け入れることができます。ここら辺の、ゾンビとなったジニに食べられる描写というのはセ○クスのメタファーなんじゃないかな。童貞だからわからんけど。マ・ドンソク演じるサンファは、妻が妊娠していながら、その子供に名前をつけられないでいますが、逆に彼は自らの死を前にすることで、親になる覚悟ができたというように見ることができます。そして主人公のコン・ユ演じるソグは仕事人間で家族のことを顧みておらず、おそらくそれが理由で離婚しているんだろうけど、まあとにかく一家を支える父親として全くダメ。それは結局自分の都合を優先して家族に犠牲を強いていたってことなわけですが、ソグは最終的に自己犠牲で、身をもって娘を守ることで真の意味での父親になれる。ここの演出がとにかく皮肉が利いていて、この映画のヒール役である自分本位なバス会社の社長はゾンビ化する前に幼児退行したのと、ソグはゾンビ化する前に娘が生まれた直後の記憶が脳裏をかすめて父親としての自覚を新たにするのとで、とても対照的です。そんなこんなで通低してるテーマやその描き方もよくできてるんですが、普通にアクション映画としても一流。電車とゾンビという組み合わせの中で、電車独特のギミックをふんだんに使っているし、ほとんど密室が舞台でありながらスケール感も充分に表せている。文句なしに傑作でした。

とはいえソウル・ステーションは完全な駄作。全編通して、結局何がしたかったのか全く伝わらない。途中で軍が市民に向かって発砲するところとか、流石に飛躍しすぎてるし説得力もないしで。どういう経緯で製作が決まったのか分からないけど、本当に同じ監督が作ったのか疑問が浮かぶレベル。ヒロインがずっと「家に帰りたい」って行ってたからモデルハウスで死ぬっつってもそんなに皮肉がきいてるわけでもなかったし、というかヒロインのキャラクターが掘り下げられないしエモーションも湧きにくい。せめて、あのヒロインが金持ちと結婚したがってるビッチみたいなキャラクターとして描かれていたなら、モデルハウスの豪華な内装の部屋で死ぬシーンの皮肉にはなってたかもしれない。あるいは、ヒロインのバックボーンとして「幼少期は普通の女の子で平凡な家庭で幸せに育っていた」みたいなものがあれば、モデルハウスの普通の家っぽい部屋で殺されていればエモーションの度合いも変わってきただろうにと思う。

 

スリー・ビルボード

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このブログを書き始めたのが2月26日。スリー・ビルボードがアカデミー作品賞を受賞するだろうと思ってこんなタイトルにしたんですが、ダラダラダラダラ書いたり書かなかったりをしていたところ、結局3本ぶんだけ、スリー・ビルボードにたどり着かずに、しかも結局作品賞を獲ったのはシェイプ・オブ・ウォーターという始末。悔しいのでタイトルは変えないけど。

まあスリー・ビルボードがどれだけよくできていたとか、演技がよかったとか、こういうメッセージがとか、そんなことはどうでもよくて、なんでこんなにスリー・ビルボードが俺は好きなのかというのが言いたくて、今回ブログを更新したんですよね。

それはなにかといいますと、「両親離婚したからなんとなくそういうもんだろと思って母親についてきたけど普通に父親のほうがよかったよ!!!」ってこの感じ!なんですよ!!!

この映画の中では離婚に至った背景とかそういうところは描かれてないし、まず大前提としてミルドレッドが悪い人かというとそうじゃない。なのでここからは妄想半分なんですけど、とはいえかなり個人的に思うところが大きかった。まあ自分語りみたいになっちゃうから適当に読み流してください。

日本に限らずですが、これだけ離婚率も上がって、もはやそれ自体は大したことではないように思うんですが、つまるところ、それって離婚の理由自体も大したことがなくなっているってことだと思うんですよね。当人らがどう思ってるのかは知らないけど、子供の側からすりゃあ、大したことない理由で離婚スンナつーかそれくらいで別れちまうんだったら結婚スンナ、ですよ。少なくともウチはそうで、聞いた範囲では特段DVだとか浮気だとか決定的な原因があったわけではない。でも、とりわけ日本においては離婚した場合子供は母親が引き取るみたいな社会の風潮があるし、実際男なんてみんなダメなところのひとつやふたつあるわけで、まあしょうがないよねみたいなのがスタンダードだと思う。そんで母方の家族と暮らしている中では、とにかく父親とか父方の家族が悪く言われるし、それを素直に聞いてる子供としては父親に原因があったから離婚したんだと刷り込まれる。ただ父方の正月の集まりとかに行ってみると、(いやこれ、こっちの家族のほうが普通に首都圏郊外に住む一般的な中産階級って感じじゃん)って気がつき始める。そこらへんのモヤモヤした思いっていうのが、スリー・ビルボードだと明確に描かれていて、「やっぱそうだよね!?よね!?」ってなってしまった。ミルドレッドはずっと父親やそのガールフレンドの悪口を言っていて、確かに父親はいい年してあんな若い女と付き合ってるし、看板燃やしちゃうし、ダメ人間なところもあって、ガールフレンドもなんか頭悪そうなティーンエイジャーだし、概ねそのとおりではあるんだと思う。でも子供から言わせりゃ親の都合で結婚して子供生んで離婚して訳もわからないまま母親に引き取られて貧乏ったらしい生活させられて物質的にも精神的にもつまらない暮らしをさせられて、ダメなところもあるかもしれないけど父親と暮らしたほうが多分これ精神衛生上よかったよ!って思うのはもう本当によく分かる。シングルマザーだから気負って厳しくしてるのか知らないけど、それアンタの都合だし!スリー・ビルボードの娘に関してはそれが直接の原因になって死んじゃったわけだから救えないでしょ!だもんで父親のガールフレンドのキャラクターがひっくりかえされていくところとか、すごく感心したし、しっくりきました。「お前そうやって相手のことをバカだって見下してるけど、お前も別に賢くねーから!!」

とにかく完全に私怨みたいなもんだし、もう一度言っておくとミルドレッドは悪い人じゃないんだけど、でも、この感覚を、この作品と共有できたということが自分の中で何よりも救いになりました。当然母方の家族は父親を一方的に悪く言うだけだし、可愛がられてる兄はそれを素直に受け入れて、ただつまはじきにされた自分だけが(少なくともこれって客観的じゃないだろ!?)と常々思っていたのが、これは自分だけのものじゃないということが確認できたということで、アカデミー作品賞は獲れなかったけど、自分にとっては特別な一本です。

 

ひとつ、どうでもいいことなんですが、ミルドレッドが歯医者でドリルを指にアカンことするシーンがあるんですが、あれってアウトレイジのオマージュだと思うんですよね。マクドーマンド監督の前作『セブン・サイコパス』で『その男、凶暴につき』を見るシーンがあるので、やっぱりタケシ映画オマージュでしょ。

 

追記:3月6日現在見た最新公開映画ランキング

 

  スリー・ビルボード 

A+ ブラックパンサー 

  デトロイト シェイプ・オブ・ウォーター

A- バーフバリ:王の帰還 

  勝手にふるえてろ

  15時17分、パリ行き

  キングスマン:ゴールデン・サークル サニー/32

 

2017年公開映画総括

〈とりあえずランキング〉

 メッセージ IT 

 ナイスガイズ ラ・ラ・ランド ハクソー・リッジ アウトレイジ最終章 ゲット・アウト 全員死刑

 沈黙 ドクター・ストレンジ ドント・ブリーズ ムーンライト T2 哭声 ベイビー・ドライバー ハイドリヒを撃て ダンケルク ドリーム ブレードランナー2049 パーティで女の子に話しかけるには オクジャ ブライト

 ザ・コンサルタント 雨の日は会えない、晴れた日は君を想う キングコング  アシュラ  はじまりへの旅  ライオン 夜は短し歩けよ乙女  スプリット ジョンウィック2 スパイダーマン KUBO アトミックブロンド ノクターナル・アニマルズ SING

 無垢の祈り ハードコア ゴースト・イン・ザ・シェル ウォー・マシン ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス  ワンダーウーマン SW/最後のジェダイ

 インビテーション

 

今年ももう終わりが近づいているので2017年に公開された映画のランキングや感想をツラツラ書き散らかしていきたいと思います。

上を見ていただければ分かると思いますが、今年は新作映画は45本見ました。とは言っても全て劇場で見たわけではなく、例えばオクジャとウォー・マシンとブライトはNetflixオリジナル作品ですのでNetflixで、インビテーションとSINGはオリジナル作品というわけではありませんが1年経たずしてそれぞれNetflixとAmazonPrimeに追加されていたので年内に見ることができました。なので映画館で見た映画、となると40本になりますね。

今年は結構意識的に、去年よりも多く映画を見ようと意識はしていたんですが、思ったほど伸びませんでした。去年は全体160(新作37)、今年は全体182(新作45)。できれば200本、最低でも2日に1本というのが目標だったので、ギリギリ後者を達成できたかなという感じです。1年を通してのモチベーションは高かったように記憶しているものの、やはり今年はゼミやらバイトやら、去年と比べて時間をとられることが増えたので…、まあ、それにしては頑張っているような気もするんですが。(むしろやりたくないことが増えたから反動で映画欲も増していたのかもしれない)

 

今年の映画を総括すると、どれも中々楽しめたような気がします。D以下の映画が8本、Eに関しては1本というところで察していただけるかと思います。

といいますのは、2017年も終わるので言えることなんですが、去年(=2016年)の映画はどれもそんなに楽しめなかったというのがあるんですよね。ブリッジ・オブ・スパイとかハドソン川とか、あるいはレヴェナントやオデッセイなんかの、よくできた映画というか、優等生映画というか(最後のは少し違う気はするけど)、ちゃんとした映画だし多分それなりに面白いんだとは思うんですが、何故かノレず、かといって「ちゃんとしてる」だけに、どこが微妙だのを言語化できず、ネットを探しても、論理的に面白くないよねという話をしている人はいなかったので、おそらくは自分のモチベーションの問題なんでしょうと思います。それ以外でも、叩くために観に行った君の名は。は除くにしても、タートルズやスーサイド・スクワットは免許合宿の苦痛を和らげるモルヒネにはなり得なかったのでマイナスイメージがこびりついています。

今年はDの映画にしても見て後悔した、というのはゴースト・イン・ザ・シェルくらいのモンですし、去年はそれが10本近くあったことを考えると、中々だと思いますよ(?)

とまあ今年の映画をどう見たかと雑な話をしたところですが、個々の感想は後に回すとして、景気よくTOP10を発表することにします。

 

〈TOP10〉

第10位 「LA LA LAND」

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ラ・ラ・ランドです。カタカナだとダサいので原題で書きました。

この映画そのものに深い感動をもらったとか、何か内在化できるようなモノを得たということはないのですが、ぶっちゃけかなりワクワクしたので入れました。予告編を見ただけでも、色とりどりの世界や輝いて見えるロサンゼルス・ハリウッドの町並みに目を奪われますし、サントラもちょくちょく聴くくらいにはハマっています。

故に多くを語れるようなこともないんですが、映画っていいなあという原体験的な意味でこういう映画もいいんじゃないでしょうか。

 

第9位 「アトミック・ブロンド

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バイオレンス・アクション映画枠です。今年見たこの手のアクション映画となると、ハードコア/ジョン・ウィック2/アシュラ/ザ・コンサルタントあたりになるのかと思いますが、全体的なビジュアルのイメージやバイオレンスシーンのフレッシュさ、新しい世界観の提供というところでアトミック・ブロンドに軍配が上がりました。

まず、始まっていきなり顔面ボコボコのシャーリーズ・セロンが映ったところで、「この映画は”リアル”なバイオレンスを見せてくれるのではないか」と大いに期待させてくれますし、実際に身の回りにあるものを使ったなんでもありのバイオレンスシーンが展開されます。僕はよく家にいるとき、強盗が入ってきたら何か使える家具はないかと考えているので「これなんだよな~」と、ついうなずいてしまいました。もちろん敵だって女だろうと構わずに顔面をぶん殴るわけですが、それでセロン姉さんも物語が進むにつれ生傷だらけになって顔も腫れ上がっていくので中々痛そうで辛くもありつつ「こういう”強い女”が見たかったんだよ!」となるわけですよ。

89年のベルリンを舞台にしたスパイ映画という混沌とした設定で、もう登場人物は誰も彼も怪しくて胡散臭くてかなわない。加えて脚本も複雑で、最後のたたみ掛けるような謎の明かし方は頭がこんがらがってしまいます。(個人的にはミスリードは上手かったと思います)ただ、傷つきながらもパワフルに突き進んでいくセロン姉さんにくっ付いていけばなんとかなる、そしてそういう新しいヒロインが出てきたことに意味があるようにも思いますね。

同じ女性が戦う映画というところではゴースト・イン・ザ・シェルがありましたが、まあアカンという感じでした。内容やビジュアルともにGHOST IN THE SHELL(つまり押井版)とブレード・ランナーをごった煮したような、二つの意味で「未来観」を全く更新していない、それで今さら映画化する必要あったのかというツッコミはさることながら、少佐のキャラクターも微妙。ホワイトウォッシュがどうとかいうのはこの際置いておきますが、問題は性格の描き方ですよ。原作なんかは特にそうですが、少佐は結構冗談も言うようなユーモアの溢れたキャラクターです。しかし今作ではなんともWhy so seriousな顔をしくさってるわりに、あのブヨっとした身体と肉襦袢の滑稽さが相反していて締まりがない。アクションにもキレがない。たけしの声も聞き取れない。これじゃあAKIRAのハリウッド映画化もどうなることやら…。

 

第8位 「哭声」

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韓国映画枠です。今年に見た新作の韓国映画はアシュラとオクジャを併せた3本だけですが、旧作を含めたら全部で12本見ていました。韓国映画、見なきゃいけないなあと思いながらも、過去の映画を掘っていく上ではやっぱりアメリカ映画(洋画)の優先度が高いだろうと半ば放置していたんですよ。しかし回りに韓国朝鮮に造詣が深い方々がいるので、もうウダウダ言ってられないなということで結構韓国映画を見たのがやはりどれも面白かったので総合して韓国映画代表=哭声ということにさせていただきました。特に今年は、哭声/アシュラ/お嬢さんとヤバメな映画が三本同時に公開が始まったのがモチベーションにも影響を与えました。お嬢さんだけ見られていないのでそれが心残りですが。

アシュラは良くも悪くもアクション映画として突出していて、韓国映画の持つ独特のバイブスみたいなものは比較的薄かったと思います。その点哭声はイヤ~な空気感といいどんどん話が変な方向に転がっていく感じといい、今年韓国映画を見てビビっときたところが集約されていました。後は雑に美味そうに飯を食うシーン。特に哭声は見終わっても結局何がどうなっていたのか置いてけぼりにされるような迫力に満ちていたのがよかったですね。中盤の祈祷バトルはその最高潮。光の霊媒師と闇の霊媒師がお互い汗だくになりながら祝詞を唱えて動物の首を切ったりしてるだけで、とにかくコイツらはバトってるんだという説得力があるので、ともすれば滑稽に映りかねないところを成立させるその力量に感服しました。

ちなみに今年見た韓国映画で一番好きなのは哀しき獣でした。

 

第7位 「ブレードランナー2049」

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ブレードランナーの続編です。これは見終わってしばらくの間は、まとまりがよすぎるといいますか、「まあ、普通に続編としてよくできてるけどね」くらいなスタンスでいたんですが、某スター・ウォーズ/最後のジェダイを見てダークサイドに叩き落されたことで「よくできてますね…(シミジミ」に変わってしまいました。

最後のジェダイが「新しいことに挑戦している」と絶賛される一方ではビジュアル的には過去シリーズをトレスしているのとは対照的に、ブレランでは過去作のイメージはそのままに、世界観といいますか、その世界の広がりを描こうと頑張っていたように思います。ロサンゼルスが都市として過剰に膨れ上がっている傍ら、そこに電力を供給したり、そこから出たゴミを処理したりする場所もあるわけです。また、そんな世界では環境が破壊され異常気象が進行している。現在と比すればさらなる繁栄があったであろうラスベガス、しかしそれも”2049”年からすれば過去の栄光に過ぎない。単純なディストピアにとどまらず、現在の世界と、そしてブレードランナー(82年)の作品世界と地続きの未来像の提示、そしてそこに必然性があるというスマートさだけでも素晴らしいと言えましょう。

また、最後のジェダイと共通したテーマにアイデンティティの問題がある。つまり、「自分は何者なのか」「自分は何をすべきなのか」「自分はトクベツな存在なのではないか」という自意識の問題です。結論としては、どちらもひとつ同じ結末を迎えるわけですが、やはりそこには差があるような気がします。スターウォーズにおいては、基本的にフォースの覚醒で伏線は投げっぱなしにされてしまったわけですが、特にレイの出自というのは最後のジェダイのストーリー内でもクリフハンガー的に引っ張られていました。しかしそのオチは「血筋の物語になってしまったスターウォーズに革命を起こしてるんだ!」で全肯定するにはお粗末すぎました。(何者でもなく凡人だった、ということ自体を否定するつもりはありませんよ)というのも、ブレランにおいてはそれ自体が重要な作品テーマになっていた上に、いくつも伏線を張り、丁寧に結末へと積み上げていっていました。それに、トクベツな存在ではないとしても、「何者であるかということよりも、何をするかが重要である」という普遍的なメッセージに昇華していく過程は、Kの哀れなキャラクターと相まって感動的だったからです。しかし、2作に渡ってポンと雑に謎を提示したくせに、意外性を出したいという意図だけが先行し、「フォースの力で分かると思うけど君の両親は凡人だよw」(そもそもフォースでそんなことまでできるのかよ)と唐突に言われても冷めるだけです。加えていえば、レイは凡人というけれども天才的なフォース・センシティブなわけですし、単調な日常を過ごすサラリーマン(同族殺し)のように描かれていたKと比べると、スカベンジャーとして人里離れた暮らしをする様子もどこか現代人として気楽に見えます。そもそもタトゥイーンで農業を営むルークのイメージをそのままトレスしただけというところに苦しい感じはありますが、JJの意図を離れてライアン・ジョンソンカマシが交じり合った結果、なんとも不協和音なオチにしかならなかったのかなという感想です。

途中から最後のジェダイの悪口になってしまったのでここら辺で切り上げますが、ブレードランナー2049はSFやサイバーパンク、あるいはディストピアを描いた映像作品としての更新にもうまくいっていますし、前作ではあまり描かれなかったキャラクターの掘り下げ、本作品自体のテーマへの決着のつけ方と、どれも素晴らしいことに疑いはありません。

 

第6位 「ハクソー・リッジ

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戦争映画枠&アンドリュー・ガーフィールド宗教映画=沈黙との抱き合わせ枠です。

 まず映画の脚本としてお手本のようによくできていましたね。三幕構成の模範解答といってもいいのではないしょうか。はじめに主人公はどういう人間なのか、どういうバックボーンがありどうやって生きてきたのか、そしてどういう時代背景で物語が進んでいくのかというのを説明。つぎにフルメタル・ジャケットを思い出すような理不尽な教官のシゴキと軍隊特有のイジメで主人公はどん底に落とされ試練を課される。それは単に肉体的な苦痛にとどまらず、ドスの信仰そのものを試す、まさしく沈黙と同じようなテーマに片足を突っ込むわけですが、最後には法廷劇という展開の捻りで飽きさせない上に父親との和解という中くらいのカタルシスで物語は上昇を始める。ラストに舞台は沖縄戦へと移り、そこでは中盤に押さえつけられていた主人公の精神や、それを見ていた我々観客の期待を爆発させたような大迫力かつ大残虐な戦闘シーンがこれでもかと炸裂します。実際に大量の火薬を使った爆発の迫力や、プライベート・ライアンに勝るとも劣らない人体破壊描写の凄まじさはさることながら、現代的な演出やカットがそこに新しい興奮を盛り込んでいてとても新鮮でした。主人公は戦わないのに(戦わないからこそ?)これまでの戦争映画にないフレッシュさがあったこともよかったです。

 

第5位 「アウトレイジ/最終章」

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全員死刑とのコメディバイオレンスヤクザ映画抱き合わせ枠です。

いや~面白いですね。笑いあり、暴力あり。やっぱりただ暴力をてんこ盛りにしても締まらないというか、ある種笑いを入れて空気を弛緩させることで、そのギャップがより暴力の恐ろしさを際立てる(コメディシーンの面白さもしかり)というのがありますよね。大杉漣のキャラクターはやりすぎ感がなくもなかったですが、コメディリリーフとしては悪くなかったです。ちなみに自分が一番好きなのは張会長に塩見三省ピエール瀧が詫びを入れに行くシーンです。(「何でチンピラ一人死んだくらいで500万も払わなあかんねん。どさんぴんやないかいっ!」「おいゴラァ…!」→「なんやアイツ日本語喋れたんかいな…」の流れが張会長の怖さとコメディの面白さが合わさって最高のシーンでした)

塩見三省さんが前作に比べて弱弱しかったのは残念でしたが、西田敏行は逆により風格が出ていたように思いますね。張会長率いる韓国ヤクザグループはシンプルにみんな格好良くてしびれました。大友のけじめのつけ方は、やはり音楽や画面の雰囲気がソナチネに回帰していることもあり、予想されるものではありましたが、それまで血の描写が抑えられていたことやキタノブルーとのコントラストと相まってかなりショッキングでした。

アウトレイジ北野武フィルモグラフィー的に見て抽象的で芸術的な路線に回帰しているところもあった一方で、全員死刑はいい意味で卑近で俗悪でした。最初のシーンで仁義なき戦いのテーマが流れたところからテンションはMAXになってしまったんですが、そこから常に下がることなく笑いと暴力の波状攻撃を食らい続け一秒も退屈しませんでしたね。どちらも最高です。

 

第4位 「ゲット・アウト

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黒人映画枠ですね。ムーンライト、ドリーム、ブライト。今年はサークルの関係で黒人の権利運動やら差別問題なんかを調べていたのでどれも身近に感じられて面白かったです。他の3作は割りとシンプルにそういった問題意識やマイノリティについて描こうとしていたのに対し、ゲット・アウトはホラーという作品の都合上ツイストをかけることが求められるので、かなり人種差別というテーマに対しても重層的というか、伏線の回収なんかも凝っていてすっかり騙されました。

黒人差別を取り扱った映画ということで、こっちもすっかり脳のスイッチをそっちに切り替えて「さあどう調理するんだ」と臨んで見に行ったわけですが、そんな単純なものではなかった。むしろそういった意識を逆手にとって、ステレオタイプな黒人像(運動神経抜群、歌やダンスがうまい、セックスが野生的)という別の差別の形を浮かび上がらせるやり方は実にスマートで膝を打つこと必見。ホラー部分の話にしても、単に人種差別の怖さというよりかは、見知らぬ土地に迷い込んだときの恐怖や、恋人(いたことないけど)や友達の家に遊びにいったときに感じる素朴な居心地の悪さという誰でも経験したことあるような感覚が通低音としてあるので、お化け屋敷的な「ワッ!」とやるホラーとも明らかに質が違って全編に渡り常に気味が悪いのもいいねポイントです。

 

第3位 「メッセージ」

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今年もっとも作品単体の完成度や名作度みたいなものが高かった作品を聞かれたらこれになると思います。上半期の映画の感想にも書きましたが、まずSF映画としての”リアリティ”がすごいですね。もちろんビジュアル的なところや作品内リアリティに関してもそうですが、サピア=ウォーフの仮説を利用した大掛かりな伏線は、脚本としての面白さもさることながら、この映画の幻想的で美しい映像という一見SFとは相反する要素とも見事にマッチしていて素晴らしかったです。

SF映画として科学(あるいは言語学)の考証がどうだとか分からないなりにも楽しめるポイントはあるわけですが、そういった形而下的なアプローチの連続の果てにたどり着く結末というのがとても形而上的といいますか、理屈を超えた先にある現在の肯定というというのはとても感動しました。

 

第2位 「IT」

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スティーブン・キング原作のホラー映画です。というよりストレンジャー・シングスです。ストレンジャー・シングスはNETFLIXのオリジナルドラマです。最高です。

はい。もちろんITそのものも最高でした。これもまた単純に「ワッ!」というお化け屋敷ホラーでなく、子供たちのトラウマに根ざした恐怖が描かれているところにストーリーの核心があります。つまり、この映画はまさにイニシエーションを描いており、子供たちは子供であるが故のトラウマ(ピエロなんて大人でも怖いけど)を自分たちで協力して打ち勝っていくというジュブナイル作品なのです。それ故に作品を通してさわやかな風が吹いており、ジメジメしたポスターとは対照的に、観賞後の爽快感も今年で一番でした。

ストレンジャー・シングスと併せて見るともれなく「自分を80年代アメリカで生活している少年だと思い込んでいる精神異常者」になれます。おすすめです。

 

第1位 「ナイスガイズ!」

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昨年も一位にした気がしますが、知りません。

探偵モノで、伏線やストーリーもしっかりしていて、ギャグも楽しくて、ヒロインがめちゃくちゃ可愛い。それで十分じゃないでしょうか。とまあ昨年と同じような感想しか出てこないんですが、改めて、今年も見てみて感じたことというのがみっつほどあります。

ひとつはこの作品のテーマの肝である自動車産業についてです。あまりネタバレしても仕方がないので最小限にとどめますが、最後の最後のシーンで、アメリカの自動車産業は日本車に取って代わられるということをにおわして終わる本作ですが、そこからあまり時間も経たずにラ・ラ・ランドを見たところ、「みんながプリウスに乗ってパーティに来ているので自分のプリウスをどこに停めたか分からない」というシークエンスがあり、ロサンゼルスを舞台にしたライアン・ゴズリング主演の両作品のシンクロニシティにビックリしました。昨年にしたまちコメディ映画祭(映画秘宝祭り)でナイスガイズ!を見たときは額面どおりにしか受け止められなかったんですが、こう立て続けに見せられるとその深刻さ?というかインパクトというのが分かるような気がします。

ふたつめはライアン・ゴズリングの演技。やはり昨年見たときははっちゃけてるなあとしか思わなかったんですが、TOP10に入っているライアン・ゴズリング主演の二作品=ブレードランナー2049、ラ・ラ・ランドでは、ナイーブでセンシティブでオタク感が漂う彼(ドライブ以降そういう役が多いんですかね?)を続けて見せられると、ナイスガイズの楽しそうな演技が本当に楽しそうで見てるこっちまで楽しくなってくるんですよね。ぜひメイキングも見たいのでDVDの購入を考えております。

そして最後にみっつめは、スパイダーマン:ホームカミングを見て感じたことなんですが、アンガーリー・ライスちゃんがやっぱり可愛いということです。本作でも生意気可愛い美少女を演じたライスちゃんですが、スパイダーマンのほうでも「付き合うならソー、結婚するならアイアンマンね」と如何にもマセガキが言いそうなセリフをサラっと言ってのけるライスちゃんがとても可愛かったです。

 

〈小まとめ〉

とりあえずTOP10はこんな感じです。といっても元来僕は映画に点数をつけたりするのが好きではないし、得意でないたちなので、○○枠といってごまかしたり、気分なんかで適当に決めている節がありますからあまりたいした意味はありません。あしからず。

TOP10に入らない個々の映画に対してもまだ言いたいことのひとつやふたつはありますが、一区切りついたのでこの辺で一度しめさせていただきます。

 

家族について

 シング・ストリートを見ました。元々見るつもりではあったんですが、やはり新作、準新作はレンタル料が高いので足踏みしていたところ、この間TSUTAYAで準新作100円セールをやっていたのでようやっと借りられました。作品の内容の如何とは別に、何故か深い感動に襲われたので多少なりとも吐き出せたらと思います。

 

 そもそも話は遡ること昨年。アイカツスターズの15話を見たときに猛烈な不快感に襲われたことが始まりでした。恥ずかしながら、それ以降モチベーションが保てずにアイカツスターズを見ていないので、厳密なことは言えないのですが、トップアイドルの姉とそれに対しコンプレックスを持っている妹との確執を描いた回で、最終的にはお互い泣きながら本当の思いを打ち明けあって無事和解する、という結末です。

 この話を見たとき、何がそんなに頭にくるのか自分でもよく分からず、思考を言語化できませんでした。ツイッターでも何となく気に入らないというようなことを呟いていたら、アイカツのオタクのフォロワーにブロックされてしまったくらいです。しかし、例えば家族を描いたアニメとして有頂天家族は好きですし、狸一家の親子、兄弟、親戚との確執描写は見ていて不快になることはありません。では何故アイカツスターズの15話は駄目なのか、今日まで答えを出せずに何となくモヤモヤして過ごしてきたところ、シング・ストリートを見てピンと来たのです。

 それは、シング・ストリート(或いは有頂天家族も)は「確執のある家族」を「確執があっても家族」と、ありのままで肯定してくれているのです。対して、アイカツスターズ15話は、「家族の確執」=解決すべきもの、つまり家族は仲良しが一番、とでも言っているかのように感じられます。もちろん、家族にしろ何にしろ、仲がよければそれがいいことなんでしょう。でも、現実はそうじゃない。これまで仲良くしてこれなかったし、これからも仲良くしていけないだろう家族は世の中にたくさんいる、何より、自分自身、身をもってそれを実感しています。そういう人間にとって、彼の15話は、どこまでもファンタジーでしかなく、無責任で、押し付けがましく、そして(仲がよければよかったなぁ)と思うからこそ、受け入れがたいものに映ってしまうのではないでしょうか。夜、月を眺めてセンチな気持ちになり、泣きながら抱き合いお互いの思いを告白し合って家族が和解できれば、そんな楽な話はありません。

 その点でシング・ストリートは、家族の問題に対して大団円を映しません。あの後(アイルランドで離婚が合法化されてから)、両親は離婚したのか、姉はどういう道を進んだのか、兄は社会復帰できたのか。しかし、それでいいのだと語りかけてくれているように感じました。ちょうど、主人公のコナーが深夜家を発つ前に、眠っている両親を一瞥した後、母親に「I love you.」と語りかけたように。わざわざ大声で喚きながら抱き合う必要なんかない。どんなに歪でも、不恰好でも、会話なんてなくたって、心の底に「I love you.」と言える気持ちさえあれば、直接言葉に出さなかろうが、面と向かって弟の門出を祝えなかろうが、それはやはり家族なのだと。

 「家族」という繋がりは、もはや修復不可能になってしまっても、全部壊してなかったことになんてできません。いつまでも付いて回る問題です。それ故、そんな家族の在り方しか知らない自分のような人間にとって、本当に信じたい、信じられるファンタジーはシング・ストリートなのです。