『NOPE』雑観~空飛ぶ円盤と映画史の円環~

 ジョーダン・ピール監督の最新作『NOPE』が映画史を多分に参照していることは、この物語の早い段階で明示される。

 

 主人公のOJは、ハリウッドの映画撮影に使われる馬を育て、調教する牧場を父から受け継ぐ。このヘイウッド・ハリウッド牧場は、世界で最初の映画(と作中で評される)エドワード・マイブリッジの『動く馬』の騎手を務めた男の手で開かれたという。つまり、OJやその妹エメラルドらは、世界で最初の映画スター(これはエメラルド当人の評である)の子孫だというのだ。

 

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 しかし、そのハリウッド的には由緒正しい家系の彼等も、周囲から見れば一介の調教師に過ぎず、あまつさえCGによって動物を使ったシーンの撮影を簡単に済ませられる現代においてはなおさらである。

 

 そうしてヘイウッド一家の置かれた立場というのは、ハリウッド、あるいはアメリカ社会における黒人の状況と重ね合わせて描かれている。エメラルドが語るように、世界で最初の映画スターである黒人の名前を誰も覚えてはいないのだ。

 ジョーダン・ピールの名前を世に知らしめた『ゲット・アウト』は、まさにそうした都合のよい搾取に晒される黒人身体の表象についての映画だった。白人(に限らないが)が黒人身体に見出す意味─優れた身体能力、性的な強靭さ等々─によって、文字通り身体を乗っ取られていく黒人たち。

 それは初代ヘイウッドがハリウッドの映画史から無視されたこととコインの裏表である。とにもかくにも、白人は他者をまなざす主体としての特権を振るってきたというわけだ。

 

 序盤の撮影スタジオのシーンで、OJが女優から「あなたの名前OJっていうの?本当に?」とニヤけながらたずねられるくだりがあった。このセリフはギャグでもありつつ、OJが黒人の一人として、まなざされる客体としての生き辛さに苦しめられてきたことを表している。ここでいう”OJ”とは、かのO・J・シンプソンを指し示しており、黒人男性のスキャンダラスな暴力性─というステレオタイプ─のメタファーだからだ。

(余談であるが、監督の前作『Us』でもO・J・シンプソンのネタは使われていた)

 しかし、OJがこの物語の主人公足り得る所以もそこにある。まなざしに敏感に生きてきたからこそ、やはり視線に敏感な動物の気持ちに寄り添うことができるのだ。しかして、彼は馬を駆る現代のカウボーイとなり、空飛ぶ円盤に知恵をもって立ち向かうヒーローとなる。

 また、OJの勇姿がカウボーイと重ね合わされているのは、言うまでもなく、西部劇の中で─史実に反して─無視されてきた黒人の存在を語り直すためであろうし、事程左様に映画史の参照の上に立つ映画なのだ。

 

 話を戻せば、この物語の主題の一つは、まなざされる客体へと押し込められてきた黒人たちによるリベンジ、と言って差し支えないだろう。そこに、空からこちらを監視しているUFOという、ジャンル的想像力の飛躍を持ち込んだ点こそが白眉である。つまり、雲の中から人間を監視するUFOと、UFOの姿を収めた衝撃映像(オプラ・ウィンフリー級の)をテレビに売り込んで名をあげたい兄妹という、なんとも卑近かつユニークなかたちで見る/見られる権力関係の逆転する様を活劇に仕立てている。

 故に、UFOをフィルムにおさめるために立ち向かうキャラクターたちの物語は、必ずしも映画というメディアへの愛や礼賛のみを描いているわけではない。UFOをフィルムにおさめることが勝利の条件となるのは、他者をまなざすことの暴力性、そこに生じる権力関係を執拗に描いてきたからこそ成り立つのだ。

 

 そして何より皮肉なことに、劇中、最終的にUFOの姿を捉えたのは、動画の撮影によってではなく写真の撮影によってであったことも、もしかしたら重要かもしれない。

  本作の序盤で名前を挙げられるマイブリッジであるが、彼は映画監督ではなく写真家であって、『動く馬』は映画ではなく、厳密には”連続写真”なのだ。もちろん、このフィルムが映画史上で重要な役割を果たしたことも事実だが、映像の記録ではなく、あくまでも写真として撮られたものだった。

 どういうことか。写真家マイブリッジは、元カリフォルニア州知事で鉄道と海運の大手企業社長であったリーランド・スタンフォードと知り合い、彼と彼の友人の間で行われた賭けに手を貸すこととなる。その賭けとは「馬が走っているとき、4本の脚が同時に地面から離れている瞬間はあるのかどうか」というものだ。その証明のために撮られたのが『動く馬』というわけだ。本ブログ冒頭にリンクを貼ったYoutubeの動画を見てもらえば分かるように、結果として、馬は疾走する際に、”空中を浮遊していた”。

 空中に浮遊する馬の写真の撮影から始まる映画史。それを参照する『NOPE』は、空中に浮遊する円盤の写真を撮影することによって幕を閉じる。ここに奇妙な円環構造が立ち顕れる。

 その円を繋ぐのは映画ではなく、"何か"を見ることに取り憑かれた人間の情熱である。

ボーイズクラブは走り続けるか

最近、花沢健吾の『ボーイズ・オン・ザ・ラン』を読んだ。

 

がむしゃらな田西の姿がウィル・スミスのビンタにダブってしまうのはタイミングのせいかもしれない。求められてもいないのに、女のためにと拳を振るう男たち。

 

特に、同作の前半におけるヒロイン・植村ちはるが悪女としてクソミソに描かれていくのは非常にツラく、今だったら無理だろうな~という以前に、当時としてもそのまま受け取るのは厳しかったんじゃないかとさえ思ってしまう。

 

作者はどう考えていたんだろうか。何度も何度も、植村ちはるの口から、彼女が、田西と青山の決闘を望んでいないことが述べられる。にも関わらず彼らが拳を振るうのは、男としてのプライドを守るために他ならない。

駅でのくだりは読んでいて本当に辛い。死に物狂いで闘ったにも関わらず、最後まで己の、言わば"勇姿"を認めてもらえなかったがために、怒りを露わにする田西。しかし、そこで田西が浴びせる罵倒が示唆するのは、青山や内木がそれを利用してつけ込んだように、植村ちはるが必要としていたのはケアであったということ。

 

男性性の規範が支配する感情のアリーナで蚊帳の外に置かれる女の絶望。

封建的な武家社会で駆動する暴力のシステムを主題に、それを描き切った怪作というのは『シグルイ』である。あるいは、中世から近世の端境期において行われた最後の決闘裁判が、如何にして男の/騎士の名誉を守り、女の名誉を足蹴にしていたのかをビビッドに描いたリドリー・スコット監督作『最後の決闘裁判』を挙げてもよいだろう。

いずれにしても、『シグルイ』の岩本三重や『最後の決闘裁判』のレディ・マルグリットに同情の念を抱いた読者・観客ならば、『ボーイズ・オン・ザ・ラン』の植村ちはるが負った傷を想像することなどさほど難しくないはずだ。

 

いや、確かに『ボーイズ・オン・ザ・ラン』は植村ちはるの傷も描いていて、それはまさに後半で再登場を果たす彼女のリストカット癖とセックス依存症?に象徴されており、(植村ちはるというキャラクターの扱いに対する)作者のジレンマがアウトプットされた結果なのかなと思わなくもない。

 

一方で、そうした”堕ちていく女”というステレオティピカルなイメージは、やはり女性蔑視的である。

個人的に思い出されるのは中島哲也監督作品『来る』の原作小説、『ぼぎわんが、来る』を読んだ時の驚きだ。映画『来る』の前半では、都会的で育児にも積極的な良き夫を演じる田原秀樹がその醜態を晒して命を落としたのち、母親としての義務を放棄して性的にも堕落していく田原香奈の姿が描かれる。

『来る』が好きすぎるあまり、初見時にはそこの描写にそれほど違和感を抱かなかった(言ってみれば、この映画は全編に漫画的なけれんみ、戯画化が施されている)のであるが、同中島哲也監督作『嫌われ松子の一生』を見ると、彼のストーリーテリングに共通するミソジニックな手つきが気になりはじめる。で、実際に澤村伊智による原作『ぼぎわんが、来る』を読んでみれば、そこには田原香奈が性的に堕落していく様など描かれていなかったのであるから、思わずあっと声を上げてしまった。

 

事程左様に、男性性の規範が駆動するパワーゲームから疎外される女の姿であって、彼女に主体性が生まれるときは堕落の責任主体としてである。ウィル・スミスに関する報道を見れば、それが現在進行形であることが理解できるだろう。

とはいえ、『ボーイズ・オン・ザ・ラン』を読んで青山をぶん殴ってやりたいと思うのは人情でもある。男だろうが女だろうが、誰だって、偉そうなクズ野郎は殴りたい、はず。問題は規範に駆動されるそれなのだ。時にヒーローよりもヴィランのほうが我々の目に魅力的に映るのは、権力の軛から解き放たれた純粋な暴力の夢を認めるからなのかもしれない。

日記⑬

1/10

「芸能人はカードが命」26に行きました。

今回は会場が浜松町で池袋よりも近いはずが、結局寝坊して12時半に起き、着いたのは14時過ぎで、欲しかったものは半分近く完売しちゃった。

以下買ったもの。

 

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可愛い。相変わらずイラスト本以外は買っていません。

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雰囲気がいい。もう皆、アイドルたちがいい感じの日常を過ごしてるイラスト本だけ描いてくれ。

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いつも買ってるサークルの。最悪ここだけ買えればいいかなという感じなので今回も間に合って助かった。何故かいつも完売してないし、合同誌に参加したりみたいなこともなさそうで不思議。個人的に助かってるからいいんだけど。

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霧矢あおい顔面シール。全30種らしいので、この被り具合なら3パック買えばよかったかも。

 

1/12~1/17

風邪をこじらせて寝込んでた。

医者がコロナじゃなくて風邪って言ってたから風邪らしいです。

 

チカチカして疲れるので映画を見られず、気力と集中力がもたないので本も読めなかった。基本的に寝るか漫画を読んでました。

 

・見たもの、読んだもの感想

ルパン三世 PART6」

シャーロック・ホームズの使い方が下手すぎて視聴意欲が著しく削がれていたのをなんとか再開し1クールを完走した。

特になし。

押井守脚本回はらしさをまとめてはいるけれど、そんなに特筆すべき見どころがあるわけでもない。

 

「ラーメン再遊記」

Twitterでやたらとラーメンハゲラーメンハゲという騒ぎ方をされているので、インターネットくんたちに媚を売ってマネタイズするスピンオフの感じかと敬遠して読んでなかった。

実際読んでみると、ラーメン業界の現状をしっかりと分析した上で、そこから続編をやる意味を組み立てているのが上手い。

 

ミシュランを獲得するような新世代の登場

ニューウェイヴ系は新世代系の踏み台として役割を終えたんじゃないか?

 

ということで、アイデンティティ・クライシスに陥る芹沢。ニューウェイヴ系としてのアイデンティティが洗練であり革新であるなら、次世代の後塵を拝するのも道理である。

自尊心が地の底に落ちて見る影もない芹沢が、新たな目標を見つけ活力を取り戻すまでがこの物語のはじまり。そこに現在のラーメンシーンに対する批評が差し込まれているあたりは誠実。

 

ニューウェイヴ系というけど、どこも地鶏のスープ+有名醸造元の醤油タレ+国産ブランド小麦使用の自家製麺+低温調理のチャーシュー+穂先メンマの「ハイスペック醤油ラーメン」スタイルばかり

どこまでいっても既存の醤油ラーメンをブラッシュアップ、高級化しただけ

ニューウェイヴ系で創作ラーメンはやり尽くしたと思っていたが、”新しい味”ではなく、”新しい形式"を創り上げることにこそ挑戦すべき

 

このあたりは、食べログ百名店とか、そこそこラーメンを食べている自分としても、目から鱗とまでは言わないけど、続編の導入としてこれ以上ないくらい説得力を感じた。

内容的には、もう少しテンポを早くしてくれたら…と思わないでもないけど、今のところは面白く読めてる。

ゆとりちゃんの最強過ぎて動かしづらそうな感じが、なんだか五条悟みを醸し出しているのもおもろい。

 

ジョジョリオン

ジョジョは高校生のころから好きで、単行本も買い集めてはいたし、一時期はウルジャンも購読してたけど、ジョジョリオンがあまりにもハマらず、単行本20巻くらいから放置して、ジョジョ熱も冷めきっていた。昨年完結したのもあり、この機会に最後まで読んだ。

リアルタイムで追ってた時は、とにかくテンポが悪く感じたのと、引きの弱さで続きが気にならないというのが辛かった。しかし、単行本で一気読みすれば、そこはあまり気になることもない。なので今回はストレスフリーに読めた。

ホラーサスペンスとしての気持ち悪さ(褒め言葉、念のため)はシリーズでも随一で、その表現力を楽しむ分にはいいかもしれない。

とはいえ、やっぱり続き物の長編である以上、ストーリーが面白くないのは結構厳しいところがある。まとめて読めばストレスはないけど、それは気になってついつい続きを読んでしまう、といった話とは全然違う。

なぜ、ストーリーが面白くないのか。ひとつは定助の正体が早い段階で明かされ、裏切りがないこと。主人公の究極的な目的は自身のアイデンティティを掴み取ることだと理解している。ロカカカとホリーさんを巡る展開は、その実現の手段ではあるけども、それを自覚している時点でアイデンティティの確立は果たされているし、うーん。それ以外にも、最初の10巻くらいまでは物語の中にアイデアが散りばめられていて、風呂敷が広がっていく楽しさがあったけど、それ以降は興味を惹きつけるアイデアが弱いと思う。

次に、キャラクターが動かないこと。これもよく言われていることだけど、まず、明確に仲間として動いているのが広瀬康穂と植物鑑定人だけ。この二人の距離感もつかず離れずな感じで、所謂”見ていて楽しい”関係性とはちょっと違う。別にキャラクターで売る必要はないかもしれないけど、月刊誌連載の長編でキャラクターが活き活きしていないと、中々惹きつけられない。東方家の面々も、常敏と劔を除いて、基本的に巻き込まれているだけなので、主体的に活動・活躍しない。スタンド披露も各人一回みたいなノリで、四部で言ったら小林玉美とかミキタカとか、それくらいの熱量でしか焦点が当てられてない感じ。敵役の岩人間もしかり。

ということで、改めて読んでみてストレスがないだけ面白みの余地も増えたけど、やっぱり素直に面白いとは言い難い。当然だけど、連載ものであれば、特に長く続けるなら長く続けるだけの引きがないと読むのが辛いし、そこのアイデアで勝負していないなら10巻くらいで終わらせてほしい。

就活の総括

 「長い19世紀」という言葉がある。1789年にはじまるフランス革命による近代国民国家の時代の幕開けから、1914年の第一次世界大戦の勃発によって植民地獲得競争を基調とした帝国主義の時代が終わりを迎えるまでを射程に捉えた時代区分であり、イギリスの歴史家エリック・ホブズボームの提唱した概念だ。

 ところで、昨年末に転職が決まり、ひとつの区切りを迎えた感があるので、自分の就活を振り返ってみたいと思う。厳密に言えば、大学を卒業したのは2020年の9月であるし、2021年の前半は勤め人をやっていたわけだが。

  しかし、ホブズボームよろしく大きな視点で人生の流れを捉えるなら、大学入学年度の2015年から転職の確定する2021年までを「長い大学期」とか、あるいはインターンに行き始めた2018年から同様に転職の確定する2021年までを「長い就活期」と言って差し支えないはずだ。

 なぜ、それほど就活が長引いたのか。なぜ、今回の転職が区切りとして意味を持つのか。年の切り替わるタイミングでもあり、人生の節目でもあり、そうした点も踏まえながら頭の中を整理することは、イヤな思い出を吐き出してスッキリ心機一転をするのにいい機会になるだろう。言うなれば、このブログは大掃除で出た大量のゴミであり、もしあなたがゴミ漁りを趣味とする好事家であるなら、少し覗いてみてほしい。

 

 

 

〇2018夏~2019冬*1

 諸事情で留年の確定した4年生(つまり、一般の大学生における3年生と同義)という状態であったため、ここから就活がはじまる。と言っても、夏の時点までは特に何かをしていたわけではない。シンプルに働きたくなかったし、社会に放逐されることへの現実感もなかったし、就活のしゃらくささに嫌悪感を抱いていたから。

 ただ、夏休み中に会ったオタクから新聞社のインターンに行っている話を聞かされ、ちょっとヤバいかなと思い始めた。彼の狙っている業界は、一応僕も受けようと思っていたところではあったので色々と話を聞いた。ここら辺から就活を真面目に考え出す。

それというのも短期?のインターンなので直接選考で有利になるみたいなことはなかったんだけど、確実かつスムーズに選考を進められるルートにアクセスできる内容ではあった。幸いにも秋のインターンもやっていたのでエントリーして、とりあえず、就活スイッチをONにするきっかけにしようと思ったのは覚えている。

 いま思い出すと、この10月から翌年の2月くらいまでが、一番就活に対するモチベーションが高かった気がする。就活なんてクソくらえと思ってはいたけど、実際色々調べ始めたら、なるほどこうやるのかという発見があったりして、ゲーム的な好奇心が刺激される部分がある*2。自分のやっていたことが、いわゆる正解の「業界研究」だったのかはいまだに分かっていない。けど、その業界にはどういう会社があって、それぞれどういう特徴があって、部署の志望はどうしようとか、SPIや過去問の対策に必要なのはどれでとか、一度考え始めると、意外とその気にさせられて、結構考え出してしまう。ここのところは大学受験とも通じる部分かもしれないし、大学受験で一定程度の成果を得られた人間なら、同様のノリで就活に馴染んでいくんだろうなと思わされる。

 とはいえ、自分は他の人に比べて、決して熱心に就活をしていたわけでもないだろう。実際に動き始めたのは11月とかだし。以下、11月から翌年の2月にかけてやったこと。

 

  • 新聞社のインターン(短期)に行く
  • 受けるだろう5社ほどの新聞を基本毎日か隔日で読み比べ、メモを取る
  • SPI、漢字、作文の対策
  • マイナビリクナビで興味のある会社の(プレ)エントリーを済ます
  • 学内or企業ごとの説明会の参加

 

 ここまで説明してこなかったが、自分の志望業界は新聞、出版(他にも受けていたところはあるが)である。理由は、ウダウダ言ってる(人)文系の大学生が、大概そうなのであろう、それである。分からん。世のウダウダ言ってる文系の大学生は意外と新聞、出版業界を志望してないのかもしれん。まあ、平たく言えば、興味のあるのがそこだけという、ありがちな理由ですね。

 あとは、限りなく可能性は低く見積もっていたので記念受験みたいなものとして、映画の大手3社も受けた。いやいや出版の門の狭さたるや、そう変わらないだろうと思われるかもしれない。それはこっちだって講談社に採用されるのを疑わないほど脳みそぶっ飛んではいないけど、映像業界、と言っていいのか、テレビなり広告なり映画なりは、まあ無理だろうな感が段違いだった。学内説明会で映画大手3社のそれに参加したが、どこもスライドに映される前年度の内定者の集合写真の時点で美男美女しかいないレベル。いや、しかっていうのは言い過ぎなんだけど、8割方は爽やかでフレッシュで、綺麗どころ~~~という感じがある。早慶の要領と顔面が良い男女を集めて自尊心バーリトゥード開催した結果、みたいなイメージです。残りの1割は能力、あとの1割は体育会系。少なくとも、写真からはそういう印象を受けた。

 

閑話休題

 

 前で書いたように、遅い就活のスタートを切った身であるが、怠惰な自分からしたら中々悪くないんじゃないかという慢心もあった。その要因のひとつは、新聞社のインターンで目にした大学生たちが、やたら冴えないふうに見えたこと。その後の選考で落とされた人間の僻みと受け取ってもらって構わないけれど、グループディスカッションで誰も碌に発言しないし、何か言えば中身が薄いしで、おいおいマジか、と思った。(あの人らも自分と一緒に普通に落とされている可能性は高いだろうね)

 実際に選考が始まって、基本的には試験も通過できたし。試験の段階でも結構な倍率があるわけで、この調子なら流石にどこかしら引っかかって就活は無事にソフトランディングできるだろうと高を括っていた。この時までは。

 

〇2019春

 面接が通らない。

 1次でもばしばし落とされる。

 ここで異変に気が付き始める。

 元から人前で話すことは苦手だし、あがり症の気はあったけど。それにしても、である。1次面接で聞かれる質問の多くは、オーソドックスな自己紹介/学生時代に頑張ったこと/長所短所/会社に入ってやりたいことあたりか、出版なら好きな本系統、新聞なら最近気になるニュース系統とかの、人となりを探ってくるジャブみたいなそれ。自分としては、(多少ぎこちなくても)そのどちらもにまずまずの回答をしていたと思っている。実際、1次面接で落とされる話を人とした時に、「なんて答えてるの?」と聞かれ、大体こういう回答作ってるよと言ったら、「まあ悪くないんちゃう」と返されることが多かったので。

 ただ、敗因はひとつハッキリとしていて、それは、他者の目の介在する就活対策をしなかったこと。新聞を研究するとか試験の勉強をするとか、妥当性の高い回答をつくるとか、そうした一人で完結する対策はしていたけれども、キャリアセンターで面接の練習とか、友達や親に手伝ってもらう自己分析とか、他者からのジャッジに晒される対策は回避していた。傷つきたくなかったからだろうと切って捨てることもできるが、なぜ精神科医でも精神分析家でもない連中に己の人格を就活ごときのためにぐちゃぐちゃと傷つけられにゃならんのだという思いを、最後まで拭い去れなかった。どうせ面接でジャッジされることになるのにね。

 それに、子どものころから、人間が「役割」を演じているのを見るとき、どうしようもない嫌悪と恐怖が湧く性分だったのも、就活にそぐわなかった。学校からの電話に「はい~~、〇〇ですいつもお世話になっておりますぅ~~」と切り出す親とか、男の話に「えぇ~~~、そうなんですかぁ~~~、△△さんすごーい」と猫撫で声で応答する女とか、ビール飲んで「ぷはーーっ!」って言うやつとか、ぷはーって擬音語であって、マジに「pu」「ha」と発音するもんじゃねえだろ。

 ともかく。「はい、私の強みはホニャララです。私は学生時代ナンタラのアルバイトをしていました。そこでは……」みたいな、そういう就活人格を演じるのがたまらなく苦痛だった。もちろん面接でそんな態度を取ることはしていないつもりだけども、あがり症と併せて、そういうことの積み重ねの歪みみたいなものが伝わっていたんだと思う他ない。

 やっぱり、キャリアセンターで面接の練習させてもらって、一度他人の目を通して矯正すべきですね、就活に勝つためには。まあ、そもそも僕は就活に勝ちたいと思ったことがないので、前提からしてどうしようもないんですが。

 ただ、今なら分かることもあって、自分が思っているよりもだいぶ過剰にニコニコしてないと、他人(特に初対面の)には「あ、この人ニコニコしてるんだな」とは伝わらないということ。表情に限らず声の調子でもそう。就活時にも知識としては分かっていたけど、社会人を経てようやく「あ、これマジだ」と気が付きました。すべてが遅い。

 

〇2019夏~秋

 限界が見え始める。

 春に面接に突入するような大きい会社のハードルが高すぎたんだろうこともあり、この時期に面接を受ける中堅的な会社では、それなりに1次面接を突破できることも。しかし、それでも最終面接まで辿り着けたことはただの一度もなかった。

 このあたりから進退を考え出す。ぼちぼちのペースで選考を受けてるし、そこそこのペースで追加エントリーも出してるしで、さほど要領のよくない自分としては、卒論の執筆と必修再履修の単位の回収と並行して進めるには、就活に割くリソースが限界だった。

 そこで浮かんだのが就職浪人?留年?

 モラトリアムはなんぼあってもいいですからね。

 冗談はさておき、限られた業界しか受けていなかった自分としては、秋からエントリーできる会社なんてもはや見当たらなくなってきてるし、じゃあ何も関心がなかった他の業界(の残りカス)を今から調べ始めるかといえば、それも無理な相談に思えた。年内に決まらなければ、もういいやという感じである。

 親や先生にその旨を相談したのが年内だったか、いや、翌年の1月に入りこんでいたような気もするけど、とにかく、身動きの取れなくなった僕の出した答えは、言ってしまえば、先延ばしということになる。

 

〇2020冬

 年は明けたがなにもめでたくなどない。強いて言うなら、めでたいのは己の頭だけだ。

 なにせ、そもそも根本的に働きたくなどないのであり、(比較的、というのはあれど)熱烈にその業界を志望しているとも言い難いわけだ。むしろ、就活を通して半ば逆恨み的に、所詮は新聞も出版もバビロンやねんFuckじゃ~、とさえ思いはじめていた。では何故妥協できなかったのか。2019年度は仕方ないにしても、問題は2020年度。あいも変わらず出版社に絞った就活をしていた。新聞社に出さなくなったことを踏まえれば、むしろ後退に等しい。

 この段になると、もはやガチャで目当てのキャラが出るまで課金をぶち込む半狂乱のオタクに近い行動原理だろう。あるいは、コンコルド効果とでも言うべきそれ。わざわざ留年を重ねてまでこれっぽっちも興味のない会社へ進んでどうする?と考えてしまうのは人情と思っていただけないだろうか。

 それに、ESと試験は突破できるんだから、とにかく面接の矯正をすればなんとかなるのではないかと高を括っていた部分もある。今年はキャリアセンターをちゃんと活用するぞと改善に向けて動いてもいた。

 

〇2020年春~夏

 コロナで全ての調子が狂った。

 説明不要だろう。結局、キャリアセンターは片手で数えられるくらいしか活用できなかった。

 何よりも弱ったのは、ESでびっくりするほど弾かれるようになったこと。前年にそういったことはなかったので、コロナの影響なのか、多留が嫌われたか、あるいはその両方か。とにかくこれには困った。なにせ、大きな会社は意外と通してくれるけど、大きい故に面接を勝ち抜くことができないし、中小規模の会社はESを通してくれないというジレンマである。それでも、面接に進んだ場合の突破率は良くなっていたので、キャリアセンターを利用したのも無駄ではなかったと思われる。

 しかし、内定を得られなければ意味がない。

 流石に計画的な留年だし、コロナ禍のリモート授業も手伝って、卒論は終わらせて秋卒業へと目処をつけることはできた。だが、それも秋以降の無職状態の確定をしか意味しない。

 それなりに業界内では選ばず出してはいたけれど、やはりそもそもが狭き門なのだし、前述の要因も相まって、面接までありつけるのが半々といった具合だった。流石に夏までに決まらないといよいよヤバいよなと焦り始める。いつも遅い。

 

〇2020年秋

 ここで助け舟を出してくれたのが大学の先輩だった。その先輩は大学院生で、十分に能力のある人ではあるけど、その時点の就活では自分と同じような状況だった。志望している業界(出版ではない、念のため)は確固としているが、如何せん狭き門がために、中々内定が得られていないという意味において、であるが。

 しかし、その人が自分と違うのは、抑えになる会社もちゃんと受けていたこと。そこで僕の惨状を見かねた先輩は、自身が受けた中で、エントリーのコスパもよく条件として悪くない、まだ募集をしている会社を紹介してくれたのだった。

 その会社を、仮にJ社としよう。業種は、まぁお硬い仕事内容とだけ。よくある事務職で、給与水準や福利厚生など含めても、メーカーとか公務員やその他の公的機関とか、大体そんなイメージ。ビビリなので具体的なところは避けるが、個人的に学生時代勉強したことと絡めて志望動機が作りやすそうでもあった(実際そんなに関係はない)し、何より平均残業時間10時間程度というのがよかった。どうせ希望する業界に行けないなら、次に求めるべきはワークライフバランスである。

 それに、面接や試験と被って結局受けることはなかったが、実は公務員試験*3の対策を少ししていた(地方上級を目指していた従兄弟のTACのテキストを譲ってもらいボチボチ目を通していただけだが)ので、そこの入社試験も特に苦労せず突破できるだろうというのもあった。

 結果としては予想通り、いや予想以上にとんとん拍子で最終面接まで進み、J社から内定を得ることができた。面接も他の会社と大して変わらない受け答えをしていたし、なんなら熱意の欠片もない分だけ表面的な、形だけ整えましたみたいなことしか言っていなかったような気もするが、それでも通るのかというのが驚きだった。

 多分、文系就活の事務職なんかは、さして特徴のある業務内容でもないわけで、普通に試験が解けて普通に受け答えができたら通るんだろうなと、普通の就活をしてこなかった僕は、ここで悟った。会社の規模や人気度に応じて、その「普通」のハードルの高低があるだけなのだろう。

 内定が出たことを嬉しいとは感じなかったが、普通に就活してたら普通にこういう感じで内定もらえるんだというのは発見だったし、根本的に自分が企業から一切求められていない異常なバケモンではなかったんだなと知れたのは救いだったかもしれない。かといって、やっぱり、普通の就活でできるだけハイレベルな会社を目指すゲームをやり直したいとも思わないのだが。

 J社から内定が出た時点で選考の始まっていた会社に関しては合否が出るまで継続したが、一応ここで就活は打ち切った。流石に2年間も就活をしていたせいで疲れきっていた。

 

 就活とは、少なくとも四年制大学の新卒者向けのそれは、就活産業による搾取と、権力を持った大人たちが無力で初々しい若者たちをまなざす快感が根底にある、二重の欲望のゲームである。就活生は、まさに無力で初々しくあることを求められる。ピカピカのリクルートスーツとピカピカに固めた頭髪を身にまとい、私はこんなにフレッシュでございます、私はこんなにポテンシャルを感じさせる人材でございます、私はこんなに育て甲斐に溢れております、とアピールすることで、大人たちの欲望をくすぐる点に本質がある。実際に仕事とマッチした能力だとか性質だとか、それを活かすためのビジョンだとかいうより、大人の欲望が投影されるキャンバスとしての魅力を感じさせることが重要なのだ*4

 新卒なんだから能力なんてあってないようなものだろうとか、じゃあ士業とか地の実力を見てもらえる就活をすればよかっただろうとか、言われるかもしれないが。しかし、大多数の大学生はそうした就活を強いられるのもまた確かで、ここで考えているのは構造の問題がある。

 新自由主義に覆われた社会では、メリトクラシーではなくハイパーメリトクラシーが規範の軸となって、フレキシブルな雇用・業務に耐えうる人材こそが評価される。つまり、有能な労働者ではなく、優秀な投資家的主体*5としての人材である。

 自分が勘違いをしていたことは、新聞社や出版社なら、そうした規範に馴染めないような人間も、色のついたキャンバスも、それはそれとして見てくれるだろうという点だった。実際には、特色のある人間を募集*6しているようでも、本当に色の着いているキャンバスは求められていなくて、せいぜいキャンバスの大きさや材質が問題とされているに過ぎないのだ。(もちろん、自分が内定までこぎ着けなかった原因のひとつに能力不足があることも確かだろう。)

 就活に潜む気持ち悪さ。就活解禁と同時に髪を黒染めし、同じリクルートスーツに身を包み、定型化された応答をする大学生たち。そのような姿を見て、まるでロボットのようだと感じられるかもしれない。

 

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 しかし、彼ら彼女らは、受動的な存在であるロボットなどではなく、むしろ主体的な投資家的人材として振舞っているのだ。

 面接官だって、それが就活生の本来の姿でないことなど承知だし、ウェブテストを友だちと受け(させ)ているかもしれないことも、志望動機やサークルのエピソードが虚飾にまみれていることも、「御社が第一志望です」の一言が嘘っぱちだったとしても、そんなことはなんだって構わないのだろう。なぜなら、その場のルールに柔軟に応じて自身の目的のために手を尽くせる、そうした精神性を内面化し、実演できる投資家的主体としてのフレキシビリティこそ、人材として求められる美徳だからだ。

 結局、僕は最後までそれを内面化することに耐えられなかったし、故にこれ以上就活を続けるのは無意味と判断した。権力を持った人間が欲望を自己の身体に投影してくることに、投影されるままに役割を演じさせられることに、(ヒッチコックよろしく)めまい*7がしてたまらなかった。

 

〇2021年冬

 年が明け、労働が始まった。

 

 ここで、なぜ自分が「興味の持てる仕事ができること」を就活の軸に据えていたのか、今一度述べておきたい。それは誰だって興味のある仕事がしたいだろうし、実際受ける企業を選ぶ上で大なり小なりそうした意識は働いているだろう。しかし、僕の場合は、人並み以上にそこにこだわっていた自覚がある。なぜなら、それなりの企業でそれなりの生活を送れたとて、いつか「中年の危機」に陥ることが容易に想像できたからだ。将来不安になるだろうことを見こして現在進行形で不安になっていて、その不安に突き動かされていたのが僕の就活だった。

 

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 さて、実際に就職した結果、どうなったか。

 初日から、その想像上の不安が現実となって立ちふさがっていることに気が付いてしまった。本当に「気付いた」という表現が相応しい。

 勤務を終え、夜19時の駅のホーム。「あぁ、これが40年も続くのか」と、目の前が真っ暗になった。「え?これ、夏休みの1ヶ月長期バイトとか、そういうノリじゃないの?」と信じられない自分もいたが、やっぱりこれが現実らしい。入社前、友人らには「頑張って最長3年だろうな」と笑いながら話していたが、これは恐らくもって1年だなと思った。

 

 肝心の業務内容としては経理部配属である。基本的には現金の管理やソフトを使った出納業務、請求の作成、その他雑用などを担当。ありふれた仕事なのだろうが、40年間も淡々と事務処理業務に徹する、そんな人生に耐えられそうになかった。ジョブローテーションはあるが、周りを見渡せば、どの部署も大差ないように思えた。

 

 それに、ワークライフバランスという点でも難のある部署だった。「夜19時」と書いた時点で分かるように、初日から2時間ほどの残業である。結果としては、その後の毎月の残業時間は45時間前後*8、つまい36協定ギリギリで収めていただいている(笑)ような状態。それも新人だからで、仕事を覚えていけば遠くないうちに50、60という具合に増えていくのが目に見えていた。部署の先輩たちは、それくらいの残業時間で申請をしていた。していたのは申請である。残業は70時間くらいだろうか。

 世の中には100時間も残業をする/させるバグった連中や、80時間までならセーフっしょ(笑)というバグった政府がいるせいで40時間なんのそれしきと思われるかもしれない。しかし、一日8時間労働というのは先人たちがなんとか勝ち取った、ギリギリの、妥協できる、最低限のラインであって、残業など1秒だって即ち過剰に他ならないのである。(一応付言しておくならば、一日8時間週5日労働さえ過剰であるという視点も失ってはいけない)

 また、この40時間台の残業というのが中々にくせ者なのである。残業は40から60時間が一番つらいというのはよく聞く話*9だろう。平日の自由時間は1時間ほどに過ぎないが、全くないわけではない。全くないわけではないが故に、余計なことを考える隙が生まれるからだ。それこそ残業が100時間に近づくような異常な環境にいれば、そこで働く人間の精神も異常をきたしてくる。(そのレベルになると泊まり込みとかもあって、なんか文化祭の準備みたいなノリが出てきて変な団結感も生まれ、楽しくなってきちゃうらしいっスね)まともな精神を保ててしまうために生まれてくる不満というのは、自身の置かれている状況もそうだし、アフターファイブを満喫する他の人間に対する嫉妬もあろう。

 

 ちなみに僕の生活リズムはこんな感じでした。 

 

  • 6時に起床
  • 6時40分くらいに家を出る
  • 通勤にかかる時間は1時間~1時間15分ほど(ちなみにほとんど座れん)
  • 8時過ぎに会社の最寄り駅に着く
  • 8時半に始業(なんだけど勤怠をつけるのが自分のPCで、そのPCの立ち上げに10分近くかかるので早めに着く必要がある。オフィスに着くのは8時15分くらい)
  • 17時半に定時(だが、毎日平均して2時間の残業がある)ので19時半に終業
  • 21時前に帰宅
  • 風呂に入り夕食を食べて22時半くらい
  • 余暇は大めに見積もって1時間ほどあるが、何も手につかない
  • 24時前に布団に入るが中々寝つけず、ちゃんと睡眠に入るのは大体30分後
  • 睡眠(5時間半~6時間)

 

 こうして、入社当初は不満のある業務内容に不満のある残業時間から「いつか辞めてやるぞ」だったのが、そもそも生活に無理があり、「今すぐ辞めさせてください」へとスムーズに移行していった。

 

〇2021年春

 あまりにも辛い毎日だったが、人間慣れるようだ。イラク戦争の記事か何かで読んだが、拷問されたときには、とにかく目の前の1秒1分が過ぎ去ることだけを意識するのが一番役立つらしい。1日を耐え抜くことに必死になっていたら1ヶ月、2ヶ月と経っていた。

 慣れた結果、僕は落ち着いて、確信をもって「すぐに辞めよう」と判断ができるようになった。入社前は、最低3年は働いてから転職を目指すか、などと考えていたのだが、冷静に考えてありふれた経理の仕事を1年やろうが3年やろうが、志望業界の転職に直接役立つことなどない。「お、3年間は頑張って続けたんですねぇ」と評価してくれるかどうかなんて、その時の面接官の機嫌次第だ。余暇の時間で色々(資格の取得やソフトの取り扱いをマスターするなど)やろうと考えてもいたが、余暇はない。なくはないが、土日まで差し出してスキルアップ(笑)する根気はない。なにより、転職する気さえ霧散し、自分の運命を受け入れてしまうのではないかというのを一番恐れていた。やっぱり、早いうちがいい。

 そうして出した結論が大学院への進学を第一目標とすることだった。3年続けようが変わらないと書いたが、半年経たず辞めるのが概ねネガティブな印象を与えるのも確かだ。社会人経験あるんだかないんだかみたいな第二新卒もどきに就活市場(笑)で価値なんかない。年齢的に一般の新卒に紛れて就活をすることもできるが、そこに希望がないことも言わずとも分かるだろう。なので、大学院、である。

 

 不本意な賃金労働による疎外を経験してよかったと思えることがひとつあって、それは、実存の問題を真に迫ったものとして理解できたことである。大学生が頭で考えたことなど、半ば空想であって、そんなもの実存と対局にあると言っても過言ではないだろう。大学生と一般化するのがよくなければ、よくある範囲内の中流家庭で育った大学生の、と言い換えてもよい。それはともかく。人間やらなければどうにもならないし、やっていく中にのみ実存は浮かびあがってくるものであり、やらなけれ時間だけが過ぎていくし、過ぎていった時間は絶対に取り戻すことができないという、当たり前の事実。これが当時どれほどボンヤリしていたことか!いや、大学生の自分には大学生の自分なりの切実さがあったのかもしれないが、今となってはもう、思い出すことができない。

 

 いつまでも曖昧に就活をしていたって、それはガキの駄々みたいなものだ。しかし、目標を欠いて目の前の労働に消耗していったって、どうにもならない。もしかすれば、続けた先に何かがあるかもしれないが、何もなかったとなったときに取り返しがつかない。であれば、賃金労働で平均より多少マシな程度の、その「普通」の生活の体面を保つためにJ社に勤め続けるよりも、研究者として芽が出なくても、霞を食って生きていくことになろうとも、大学院に行って納得を得るほうが未来の自分に恨まれずに済むと考えたのだった。

 

 結局、4ヶ月目に辞意を上司に伝え、5ヶ月間の勤務を終え、退社した。

 しかし、繰り返すようだが、この経験にも確かに意味があった。本気で実存を築いていくということ、それに向き合っていく意識は、就職をしたことで本質的に理解できたからだ。本を読むにしても、映画を見るにしても、解像度が本当に上昇して視界がクリアになった。仮に学部からヘラヘラと大学院に進んでいたら得られなかったであろう。

 

〇2021年夏

 前項で第一目標を大学院と書いたが、仕事を辞める前から、そして辞めた後も転職活動は継続して行っていた。

 といっても第一目標ではないので、マイナビ転職とリクナビNEXTに登録し、プロフィールをそのまま送ってエントリーできるか、本当にオーソドックスな(8割方使いまわしで済ませられる)質問事項しか求められない、第二新卒歓迎で未経験可の会社に、出すだけタダの精神で応募していた。これが今の自分の状況に直接つながるので、どうしてスッパリと転職を諦めなかったのかの説明に本項を費やそうと思う。

 

 それには二つの理由がある。

 まずは、現実的なところとして、将来的な人生設計を考えた上での判断である。早い話、自分が念頭に置いていたのは、「研究研究で自分の殻に閉じこもりがちになるよりも、やっぱり普通に働けばよかった」と「志望する業界でイメージ通りの仕事に就けたが、やっぱり賃金労働そのものにどうしても耐えられない」のパターンにぶち当たってしまったとき、どう対処するかということだ。

 僕がとっても優柔不断で、過去をかえりみてはウジウジとなる性格なのは、自分が一番よく分かっている。なので、将来的にどういう方向でそうした思考が爆発したにせよ、”その時”に取れる選択肢が一番多いルートを歩むのが最善であると考えていた。そこで最善と考えたのが、「若いうちに一度志望業界での経験を積んでおく」ことだった。

 つまり、20代前半から例えば3年ほど業界で働いた場合、大学院に行こうと心変わりしても、20代のうちに修士課程を修了できる。また働きたくなれば、志望する会社に業界経験者の修士課程卒業者として、これも20代のうちに応募できることになる。もちろん、再度就職せずに博士まで行ってもいい。腹を括って30代、40代から大学院に進んだって構わない。しかし、直接大学院に進んだ場合、留年や半年間の就職など、妙にでこぼこした経歴の修士卒という存在が出来上がってしまうため、そこからあらためて働きたいと思っても、ほとんど全く希望はないだろう。

 そりゃあ、いやいや自分で選んだんだから覚悟を決めてアカデミアで生きていけやというのも、もっともではあるんだが。ただ、これはあくまでリスクヘッジを兼ねた「最善は何か」という問いであって、そして最善が上記の通りである以上、大学院に進む覚悟が決まっていたとしても、無駄なリソースを割くことなく応募できる求人が目の前にあればエントリーしない手はない、という話だ。

 次の理由は、あまり本質的なことではない上に、あれだけ文句を垂れていてなんなんだけども、一度就職したことで、意外と自分は「社会」に向いてないわけではないんだな、と気付いたことが挙げられる。

 大学生のころは時間もあるし、同質性の高いコミュニティーに浸りがちだしで、どうにもぼんやりだらだらしてしまう。例えば遅刻ひとつとっても、大学に入ってから「いや~俺ハッタツなんすよね~w」みたいなノリに堕する人間は、けっこう多いのではなかろうか。まあ、僕は高校生のころから遅刻魔だったし提出物も出さないがちではあったんだけど、もっと他者とのコミュニケーションとか、対処すべきタスクとか、本当にやるべきことは案外ちゃんとこなしてたよな、と思い出した。

 働いていた間も、特別優秀だったとは思わないけれど、それなりにテキパキ振られた仕事はこなせていたと思う。具体的には3ヶ月めくらいから、他の部署の人のミスに頻繁にイライラさせられるくらいには仕上がっていた。(まず、自分の業務をある程度ちゃんとこなし、全体を整理することができた上で、どこにミスがあるのか気が付くことが可能となるのだ。残業はときに4時間を超えることもままあったが、これは大体他の部署の人がしたミスの尻ぬぐいだった。)

 そんなこんなで、ちゃんと土俵に上げてもらえれば、自分はそれなりのパフォーマンスを発揮できるくらいには社会でやっていけるし、であれば「俺は社会不適合者だから労働には向いていなくて、とりあえずは大学院にいって…」みたいな、よく聞く逃げの院進に走る必要はない。むしろ、納得できる機会があれば、前向きに社会の中に居場所を作り、そこで何かを為すような経験はしておきたい、と思っている部分があった。

 

〇2021年秋~

 もはや書くこともあるまいが、先月に運よく内定が出て、転職先が決まった。

 

 第一目標はあくまで大学院として、基本的には毎日本なりを読んでノートをつけてとやっていて、映画を見て、ノラ猫を撫でて、という生活を半年弱続けていた。

 継続していた転職は、やはり中々厳しく、ESの突破率は15%ほどだったと思われる。結構ハードルは下げていたつもりだったけど、今度は下げ過ぎると逆に、「なぜ君がうちに……?」みたいに弾かれるというのはあるっぽいですね。

 そんな中、2021年も暮れに近づき、そろそろ学部時代の先生に相談したり、出願書類を揃えたり、具体的に院試に向けて動き出そうとしていたタイミングで選考が進み始め、本当に奇跡的に内定が出た。面接で話した内容としても、オーソドックスな質問はほとんどなく、それまで受けた50社くらい(重複あり。たぶん実数としては40社くらい受けた。面接を受けた数としては、半分くらい、かも)の中でも一番雑談に近いそれで、対策という対策が役に立った感じもなく、終わってみればあまりに呆気なかった。

 

 現代のハイパーメリトクラシーを基軸とした就活は、メリトクラシーが重視された時代のそれと比べて、運、というか不可視化された要素が左右する部分の多い代物でろうが、しかし「普通」の就活をしていればどこかしら普通に採用してくれるのも確かだ。こればかりは、不確実性の波に身を任せた就活をしていた僕が、最後の最後で藁を掴んだという、ただそれだけの話である。

 なので、このブログは誰の参考にもならないだろうし、参考にしてなどいけないエピソードだ。あくまでも自分の気持ちの整理であって、せめて誰かの他山の石となれば幸いである。

 

 

*1:春:4~6月、夏:7~9月、秋:10~12月、冬:1~3月

*2:このブログを書き始める前まで、就活は自分にとって闇一色の思い出だったが、あらためて考えるとこの時期は結構ポジティブだった。この本の著者が、結婚なんてする気もないし興味もなかったけど、いざ取材のために結婚相談所に行くと、色々ちゃんと考え始めちゃったりして……という話をしており、そこで思い出し共感した。

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*3:ワークライフバランスを重視する場合の次善の策として公務員を考えていた。しかし、森友学園の件などを見るに、公務員でガチった先に何かあるとも思えないので、片手間の対策をしていただけだった。ただ、出版社の試験に特化しきらず、公務員試験のテキストに触れていたおかげで、なんとなく役立ったというエピソード。

*4:この話とはあまり関係ないかもしれないが、個人的に思い出されるのが、就活中、面接でよく言われた「作文はとてもよく書けているんですが…」というセリフ。冗談抜きで10回くらい聞かされた気がする。”は”ってなんやねん。”ですが…”の続きはなんやねん。そこを評価せえ。

*5:こうした新自由主義時代の労働者像を考える上で、最近読んだ示唆に富んだ一冊。

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*6:講談社の新卒採用のキャッチコピーは”トンガリ人間募集”。

*7:Amazon.co.jp: めまい (字幕版)を観る | Prime Video

*8:しかし、他の支社、他の部署にはほとんど残業がないので、マイナビに書いてあった平均残業時間10時間というのは、恐らくただしい。

*9:残業実態調査、月60時間超えで「幸福度」が上昇 | リセマム

動物を可愛く撮るべきか、撮らざるべきか、それが問題な『GUNDA』(の感想)

  スクリーンに─光学的な意味で─投影される映像というのは現に存在しているわけであるが、そこに映し出される意味はと言えば、投影された観客の欲望にも他ならない。

 

youtu.be

 

 『GUNDA』はドキュメンタリー映画だ。BGMやナレーションを排し、画面はモノクロ。そうした抑制的なタッチで、ある畜産場で生きる豚の親子たちを観察する作品だ。ゆえに、あらすじもない。

 しかし、この映画が動物たちの”ありのまま”を映しているなどとは、ゆめゆめ思うことなかれ。カメラを向けること、BGMを排すること、ナレーションを排すること、ひとつひとつのカットを切ること。モノクロの映像にしたことも、全てが人為的な選択によるものだ。仮にこの映画が”ありのまま”に見えるのならば、ありのままだと思わせたい演出の結果である。

 もちろん、それはこの映画の持つ豊かさの証明でもある。本作に施された演出からは、多様な意図を読み取る機会が観客に向かって開かれている。そして、作り手の意図を排した”ありのまま”を感じ取ることもまた、そうである。

 個人的な所感を述べるならば、『GUNDA』は今年最も感動的に動物の人格を描いた映画であろう。足の悪い子豚を甲斐甲斐しく世話するように見える母豚。まるでピクニックのように映される豚親子の散歩。大きくなって自立したかのように見える子豚たちと、少し疲れた様子でそれを遠くから見守るように腰を下ろす母豚。トラックに子供たちを連れ去られ、取り残された母豚の、大きく張った乳房に執拗にカメラをズームする意図は、果たして。なぜ、一本足の鶏を被写体に選ぶのだろうか。立ち尽くす鶏の、直立した脚ばかりを数分にわたって映し続けるスクリーン。ようやく鶏が走り出した瞬間の、その肉体的な躍動は、おそらく観客の精神的な躍動を誘い出すだろう。

 豚の可愛さと、鶏の力強さ。豊かな動物の世界を見ることを可能にするのは、作り手と観客の共同作業であって、ありのままの動物の世界は、その断片を覗かせるのみである。

 この映画は二重の搾取の上に成り立っていると言わねばならない。家畜のLife─生命─を切り取り加工し、食卓へと供する食品産業のそれであり、家畜のLife─人生─を切り撮り、加工し劇場へと供する映画産業のそれである。観客に唯一可能なのは、せめて欺瞞に陥らず、動物との関係のあり方を思考することだ。

日記⑫

11/25

結局は歴史性に対する態度なんだなという話。

 

なぜか日本の論壇の一部では90年代アメリカの文化戦争の焼き直しのようなアイデンティティポリティクス批判が流行っているようでバカばっかだ全く(Awich)と言う他ない。そもそも、ロビー活動や利益団体の例を出すまでもなく、ある集団がその集団にとっての利益を引き出すべく政治に訴えかけること、それ自体を批判される言われはないはずだ。階級の問題に焦点を当てないでどうするだって?1950年代以前のアメリカがどういう社会だったか、言われないと分からないのか?それとも、とぼけているのか?ニューディール連合や教会組織が黒人を解放したというのか?

それに、文化戦争といえば多文化主義に対する批判だろうけど。なぜ多文化主義からアイデンティティポリティクスに主語をスライドさせているのかも疑問で、どうして政府だったり大学だったりの多文化主義政策の在り方に対する批判をすっ飛ばしているのか。まずすべきは権力や体制の見直しじゃないのか。「ふ~ん、ジェンダーとか、レイシズムとか、大事かもね。でも、お前らのやり方は間違ってるよ。」それが最初に出てくるようじゃあ、単なるパターナリズムだろ、エセ評論家(SALU)。

ともかく、人種もジェンダーも経済も、いづれの問題も複合的で、それらがいかにして複雑に我々の社会に根を張ってきたか、その歴史性に対する感度が鈍いようでは、実態に即した議論なんてしようがないじゃないか。

 

もちろん、それは各部族()に共通することでもある。最近一番実感するのは、Twitter上の『エターナルズ』をめぐるあれこれ。(少なくともアメリカのエンタメで描かれる)ポリティカル・コレクトネスが結局のところアメリカニズムに過ぎないというのは僕の意見ですが、『エターナルズ』において描かれる多様性にも、その一端はやっぱり見て取れる。言うまでもないことであるが、それは日本にポリティカル・コレクトネスが不要だとか根付かないだとかでは決してない。あくまでも、アメリカのポリティカル・コレクトネスにはアメリカの文脈があって、彼の国の歴史の中で構築されたものであり、無謬のグローバルスタンダードなどでは決してないということ。MCUの中で日本やロシアに対して向けられる眼差しにポリティカル・コレクトネスの欠片もないことと、『エターナルズ』で語りなおされる植民地主義は限りなく地続きだ。アメリカに固有の歴史性に対する目配せなしにハリウッド映画の多様性を称揚することは危険だろう。その多様性はいったい誰に対して開かれたものなのか。男性も女性もアフリカ系もアジア系もセクシャルマイノリティ障がい者もいる米軍基地のフェンスの外側に対する想像力を失ってはいけないのではないか、アメリカのカルチャーを愛好する者ならば。

 

12/5

上野でシュラスコを食べた。とにかく量が多かった。

そもそも食べ放題コースなんだけど、基本メニューを完食しないと食べ放題フェーズに突入できないシステム。この基本メニューの量が多いので、食べ放題に達する前にかなりの満腹感。まあ美味いしいいんだけど、それなりの値段なので元取りたいな~みたいなことを考えると、ちょっと悔しい。

 

で。その帰り、最寄り駅に着いたのが23時半とかなんだけど、家までの道で声掛け事案未遂っぽいものに遭遇した。

シュラスコで調子に乗ってハラペーニョソースを食べまくったせいで腹痛に襲われ、全力の早歩きで帰っていたら、後ろから自転車にベルを鳴らされた。邪魔邪魔って感じで迫ってきたというよりも、真後ろにピタッとくっ付いていて、呼びかけるようなニュアンスで鳴らされたように感じる。というのも、実際、その自転車に乗った中年男性はこっちをガン見しながらマスクを外そうとして、なにか言葉を発そうとしていたから。状況が状況だし、その瞬間は道案内か警察かと思って、イヤホンを外しながら「はい?!??なんすか??」とちょっとビビッて上ずった声で応答した。まあ、あの時間に自転車乗ってる地元住民が道案内とか、私服のママチャリ警官とか、ありえないんだけど。

すると、自転車男は僕の顔を見て一瞬けげんな表情を浮かべたら、外そうとしたマスクを戻して、そのまま走り去った。結局、その男は度々こっちを振り返っては睨んできたんだけど、何か事態に発展することはなく、曲がり角に消えていった。

最初は自分が道をふさいでいて邪魔だったのかと思ったんだけど、それはありえない。自転車男は僕の顔を見た後、その横を通り抜けて走り去ったから。僕は振り返ったけど一歩も動いてないので、最初から自転車一台分のスペースは十分にあったわけだ。それに、これはちょっと偏見だけど、歩道の通行者に邪魔邪魔とベルを鳴らした挙句攻撃的な態度を見せる中年男性が、最後まで怒鳴ったりブツブツ文句を言ったりもせずにコトを収めるなんてありえるだろうか(=邪魔だったからキレてたわけじゃない?)。やっぱり、僕の顔を見て急に態度を変えたところが肝。

すると、僕を女だと勘違いして何か言ってやろうとしてたんじゃないかと考えるのが妥当だと思われる。若干だけど髪は長めなほうだし、この日はぶかぶかのフリースにジーンズにスニーカーで、ママ上が縫ってくれたマスクの見た目もピッタマスクっぽいし、それにトートバッグを持っていたから、夜の暗がりで後ろから見れば、女と勘違いしてもおかしくはない、たぶん。で、それが男だったから、何か言いかけたけど、何も言わず去っていったという。繰り返しになるけど、追い越すスペースは十分あったし、仮に単に邪魔でベルを鳴らしたんだとしても、邪魔だってんでわざわざ文句をつけてやろうとするプッツン系の手合いが、僕の顔を見て引き下がったのはなんとも不自然。

それに、そもそもあんな時間に自転車で繰り出してなにしてんだというのはある。記憶が確かなら、カゴに荷物を積んではいなかったし、たぶんライトもつけていなかった。やっぱり、なんか怪しいんだよな~。急ぐ用のある時間でもないし、本当の緊急事態だったなら端から車道走るとかさ。

ぐるぐる頭の中で推測を繰り返しても意味ないんだけどね。ただ、考えれば考えるほど、女性を狙った声掛け事案に類するそれだったんじゃないかと思えてくる。この辺わりと治安のいい住宅街だと思ってたんだけどな~。それこそ、歩行者をすぐ怒鳴りつけるタイプのプッツン自転車おじさんだったら、こういう人いるよな~困るな~で、まだ話は早くて。仮に性犯罪者やキャット・コーリングのたぐいじゃなかったにしろ、ちょっと情緒のおかしい挙動不審な、しかもそれをオフェンシブに発現させてくるような人が自宅の半径100m以内を、少なくとも行動圏にしていると思うと、結構ちゃんと怖い。変な自転車の中年男性をまず「道案内か?警察か?」と思えてしまう能天気な男の僕でこれなんだから、夜道を女が一人で歩くのってマジに怖いだろうなと、急にリアリティがぶわっと浮かんできちゃった。

その時のことに話を戻せば、いきなり意味不明なイベントに遭遇したせいで、ハラペーニョによる腹痛が一瞬でおさまったので、ちょっと助かった感じもあったりしました。

庵野秀明展感想(『ラブ&ポップ』の切断、『シンエヴァ』の接続)

11/10

庵野秀明展に行った。印象に残ったところだけ。

 

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 ひとつめは『ラブ&ポップ』。『シン・ゴジラ』以外の実写監督作の扱いは大きくないため、『ラブ&ポップ』も基本的に上の写真2枚に収まる程度だと思っていただければ。

 

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 ちなみに、アニメでも一部携わりましたみたいな作品の扱いは小さい(これは仕方ないか)んだけど、『彼氏彼女の事情』もこれっぽっち。オリジナル作品じゃないとはいえ、演出に見るべきところはあるし、何よりメンタルヘルス的なテーマは他の作品と共通するところもあるだけに、掘り下げがないのは少し残念だった。

 

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 話を戻すと、『ラブ&ポップ』の展示で興味深かったのは脚本の企画書の表紙に描かれた初号機……ではなく、「女子高生のリアルを自分の中に持つ」の文言。

 『ラブ&ポップ』は4人の女子高生の群像劇的な側面を持つ映画ではあるけれど、基本的には裕美を主人公に、女子高生としての等身大な葛藤を描いた作品。彼女の独白をベースに、家庭用ビデオカメラを用いた自由闊達なカメラワーク、凝ったアングルのショットを繰り広げて物語を展開する構成になっている。

 で。自分がこの映画を見たとき気になったのは、まさに感情移入を誘うような独白が物語の推進力の主たる部分を占めていながら、カメラワークが一切の感情移入を拒絶しているところだった。家庭用ビデオカメラの身軽さを活かして、とは言うものの、そのほとんどは女子高生のリアルな生活を覗き見るような手つきで、実際に超ローアングルからスカートの中を─文字通り─覗き見る構図も多用されており、本作の内包する窃視症的な傾向は色濃い。ストーリーとしては援助交際をめぐる女子高生の心の揺れ動きを描き出そうとしているわけだけど、カメラ-観客の目の接続は、女子高生をまなざして楽しむという点で、むしろ我々を、作中における援助交際を持ち掛けるおじさん側の立場へと導いている。

 この矛盾は上映時間を通して我々に居心地の悪さを感じさせる。対象に様々なアングルからまなざしを向けて視覚的快楽を充足するとき、あるいはそうして欲望を喚起させられた観客としての己を自覚したとき、「自分の中」に掴みかけた「女子高生のリアル」は、たちまち霧散してしまう。絶えざる共感と、絶えざる切断。その、無限の循環。

 この捉えどころのなさは、果たして意図的なのかどうなのか。恐らくはコメンタリーとか各種インタビュー等の資料をdigれば簡単に答えに辿りつけるのかもしれない。ただ、少し前に『ラブ&ポップ』を見たばかりの自分は、偶然に庵野秀明展でその一端を見つけることとなった。つまり、「女子高生のリアルを自分の中に持つ」という監督の試みは、うまく機能しているとは言い難いという結論である。

 

 

 つぎに面白かったのは、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の主要な舞台となる第3村のミニチュア。

 

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 やっぱり転車台が広場のように配置されている。と、思う。映画館で最初に見たときから感じていたことではあったが、あらためてミニチュアという形で提示されたことで再確認できた。

 日本の都市にそうした伝統はないけれど、欧州において都市の中心には広場が配されている。それは古代ギリシアアゴラであり、古代ローマのフォルムであって、現代の諸都市においてもそうである。

 

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古代ローマトラヤヌス帝のフォルム
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↑現代イギリスはトラファルガー広場

 

 こうした公共スペースとしての広場は、市場が開かれるだけでなく、市民の交流を活発化させ、政治的な活力を生み出す場としても機能してきた。古代ギリシアのポリスにおける民主政がアゴラで花開いたのは、その一例である。

 ちなみに、都市地理学の授業なんかを受ければ、日本の地方都市の中心市街地が崩壊している一因に、こうした広場文化の欠如が挙げられるのを耳にすることがあるかもしれない。実際、富山市がまちづくり事業-中心市街地復活策の一手としてグランドプラザを建設したのには、そうした背景があってのことである。

 

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富山市はグランドプラザ。商店街や商業施設に隣接しており、買い物客をはじめ普段は市民の憩いの場として、時にイベントスペースとして活用されることを意図している。郊外立地の大規模商業施設に対するひとつのアンサー。

 

 閑話休題。ここで僕が指摘したかったのは、『シンエヴァ』の第3村における転車台が広場のように配されている─実際に劇中ではこの転車台を囲うようにして診療所と食料の配給所が立地しており、多くの村民が行き交う場となっている─ことの意味だ。転車台とは電車を運用するための装置であるわけだが、庵野監督が常々電車を、あるいは線路を、運命論的なメタファーとして用いてきたことを思い出そう。『新世紀エヴァンゲリオン』で、『式日』で。その他の作品にもそうした瞬間を見出し得るだろう。それに、例えば新海誠監督の『秒速5センチメートル』や『君の名は』にも見られるように、こうしたメタファーの使い方は色々なアニメ、映画に共通するものでもある。

 しかし、『シンエヴァ』の第3村では転車台が広場のごとく鎮座している。ここにあるのは、現実および劇中において街と街を、生活と生活をつなぎ、物資の調達によって人々の命をつなぐインフラとしての電車と、市民の生活が交差し、人と人とがつながり合う公共空間としての広場のアナロジーではないか。

 『シンエヴァ』のラスト、シンジくんは宇部新川駅のホームから駆け出し、現実の宇部の街へと歩を進める。これを「現実に帰れ」というメッセージとして解釈するのは安直だろう。運命をなぞる線路、動き出す車両、人間の手に負えない巨大な機構。その座席に腰掛けうじうじと悩み続けたエヴァの登場人物たち。しかし、電車から降りたって構わない。ひとたび電車を降りれば駅があり、駅の周りには街が広がっていて、人がいる。第3村における転車台のアナロジー庵野秀明なりの、運命論の隘路からの脱却なのだと認めたとき、この映画の持つ意味はまた違って感じられるはずだ。