家族について

 シング・ストリートを見ました。元々見るつもりではあったんですが、やはり新作、準新作はレンタル料が高いので足踏みしていたところ、この間TSUTAYAで準新作100円セールをやっていたのでようやっと借りられました。作品の内容の如何とは別に、何故か深い感動に襲われたので多少なりとも吐き出せたらと思います。

 

 そもそも話は遡ること昨年。アイカツスターズの15話を見たときに猛烈な不快感に襲われたことが始まりでした。恥ずかしながら、それ以降モチベーションが保てずにアイカツスターズを見ていないので、厳密なことは言えないのですが、トップアイドルの姉とそれに対しコンプレックスを持っている妹との確執を描いた回で、最終的にはお互い泣きながら本当の思いを打ち明けあって無事和解する、という結末です。

 この話を見たとき、何がそんなに頭にくるのか自分でもよく分からず、思考を言語化できませんでした。ツイッターでも何となく気に入らないというようなことを呟いていたら、アイカツのオタクのフォロワーにブロックされてしまったくらいです。しかし、例えば家族を描いたアニメとして有頂天家族は好きですし、狸一家の親子、兄弟、親戚との確執描写は見ていて不快になることはありません。では何故アイカツスターズの15話は駄目なのか、今日まで答えを出せずに何となくモヤモヤして過ごしてきたところ、シング・ストリートを見てピンと来たのです。

 それは、シング・ストリート(或いは有頂天家族も)は「確執のある家族」を「確執があっても家族」と、ありのままで肯定してくれているのです。対して、アイカツスターズ15話は、「家族の確執」=解決すべきもの、つまり家族は仲良しが一番、とでも言っているかのように感じられます。もちろん、家族にしろ何にしろ、仲がよければそれがいいことなんでしょう。でも、現実はそうじゃない。これまで仲良くしてこれなかったし、これからも仲良くしていけないだろう家族は世の中にたくさんいる、何より、自分自身、身をもってそれを実感しています。そういう人間にとって、彼の15話は、どこまでもファンタジーでしかなく、無責任で、押し付けがましく、そして(仲がよければよかったなぁ)と思うからこそ、受け入れがたいものに映ってしまうのではないでしょうか。夜、月を眺めてセンチな気持ちになり、泣きながら抱き合いお互いの思いを告白し合って家族が和解できれば、そんな楽な話はありません。

 その点でシング・ストリートは、家族の問題に対して大団円を映しません。あの後(アイルランドで離婚が合法化されてから)、両親は離婚したのか、姉はどういう道を進んだのか、兄は社会復帰できたのか。しかし、それでいいのだと語りかけてくれているように感じました。ちょうど、主人公のコナーが深夜家を発つ前に、眠っている両親を一瞥した後、母親に「I love you.」と語りかけたように。わざわざ大声で喚きながら抱き合う必要なんかない。どんなに歪でも、不恰好でも、会話なんてなくたって、心の底に「I love you.」と言える気持ちさえあれば、直接言葉に出さなかろうが、面と向かって弟の門出を祝えなかろうが、それはやはり家族なのだと。

 「家族」という繋がりは、もはや修復不可能になってしまっても、全部壊してなかったことになんてできません。いつまでも付いて回る問題です。それ故、そんな家族の在り方しか知らない自分のような人間にとって、本当に信じたい、信じられるファンタジーはシング・ストリートなのです。

2017年上半期に見た新作映画まとめ

 メッセージ

 ナイスガイズ ラ・ラ・ランド T2 ハクソー・リッジ

 沈黙 ドクター・ストレンジ ドント・ブリーズ ムーンライト 哭声  

 ザ・コンサルタント 雨の日は会えない、晴れた日は君を想う キングコング 

  アシュラ  はじまりへの旅  ライオン 夜は短し歩けよ乙女  スプリット

 無垢の祈り ハードコア ゴースト・イン・ザ・シェル ウォー・マシン 

  ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス 

 インビテーション

                                       

 いきなりランキングです。基準としては

S=オールタイムベスト級

A=その年のベストテン級

B=劇場で見て欲しい級

C=DVDレンタル開始やアマゾンプライムに追加されたら見て欲しい級

D=特におすすめはしないけど無料で見られるタイミングがあったら見れば級

E=見なくていいです

 

・メッセージ…SFとしての科学考証や”それっぽさ”はさることながら、そういった形而下学的な要素と、「流れ行く時の中を生きるということ」という抽象的で観念的なテーマ、つまり形而上学的な要素が、ヴィルヌーヴ監督の幻想的な映像美のおかげでうまく共存しています。サピア=ウォーフの仮説が正しいかどうかというのは置いておいて、過去と現在、未来の映像の織り交ぜ方やそこに散りばめられた複線、タイムパラドックス的展開も見事でエンターテインメントとしても楽しい一作。

 

・ナイスガイズ…以前もブログで書きました。探偵モノ、ロリが可愛い、ギャグが面白い。

 

ラ・ラ・ランド…ラストで別れる理由が分からない、という意見を聞いたことがある。けど、人生ってそんなもんでしょ、って話でいいと思います。何かを得るためには何かを失う、そういう寓話です。

 

・T2…トレイン・スポッティング2。正直あまり覚えていません。でも鑑賞後にとても爽快な気分で劇場を出たのは覚えています。

 

ハクソー・リッジ…戦争映画の戦闘シーンを更新したと言っても過言ではない作品。ところで、アンドリュー・ガーフィールドの喋り方が池沼っぽくて鑑賞中は気になって仕方がなかったんですが、やはりあれはそうすることでイノセントな人物であることを強調しているのでしょうか。

 

 B以下は気が向いた時に書きたいと思います。

  

    

  

 

 

   

 

     

    

 

 

女は馬鹿だから変な形のスマホケースを使いたがる

最近読んだエロ同人CGの話
 

  Twitterでエロ漫画のマジヲを気取っている僕ですが、正直なところ青年誌の本番シーンがあるような漫画や、DMMで販売されているような同人CGの方が興奮します。ほとんど見ないAVも、やはり素人モノの方が好きだしね。

 といった感じで、よくDMMでHなCGを購入するわけですが、最近妙に心に残った作品があったので、それについて書き散らかしたいと思います。  

 

  その作品というのはこれ。はいとく先生の「ネトラレ妄想シンドローム」です。f:id:metasiten:20170708002952j:image

  ご存知のオタクもいるかもしれませんが、はいとく先生はNTRモノや母子相姦モノを描いている同人作家です。他の同人CG作家の例に漏れず、絵柄が粗く下手なところもありますが、妙な色気というか、惹き付けるところがあります。

 

  そしてこの作品。見ての通り後編なので、まず全体のあらすじから。主人公は平凡なサラリーマンの男。可愛い奥さんがいるものの、寝取られ好きの気があり、いつも妄想しては自己嫌悪に陥っているという設定。前編は導入としての役割が強く、基本的に主人公の目線で、「日常生活の中で妻が寝取られるシチュエーション妄想」をいくつか描いていきます。話が転がっていくのはその後半、主人公夫婦の家に奥さんの大学の同級生が食事に招待されることでメインのストーリーが始まります。妻とその友達の距離感を訝しみつつも、男の寝取られ妄想は寝取られ願望の域に突入し、敢えて二人を置いて家を出るなど行動が常軌を逸し始める。そしてラストは酔い潰れた男が目覚めると寝室から二人の声が…というところで終わる。ここで重要なのは、前編は常に主人公の妄想にすぎないということです。シチュエーションも無理があったり、物理的に不可能だったり、ふきだしの形からもそれは明らかなものとして演出されています。

 次に後半。こちらは打って変わり妻の視点から始まり、その後も一貫して妻側の心情描写が続きます。基本的に話はベッドシーン。同級生に焦らされて身体は昂ぶりつつも何とか耐えている妻→夫が覗いているのに気がつき心の中では止めてくれることを願う→しかし遂に耐え切れずにセックス開始。ストーリーとしては単純で変化もありません。しかし僕が衝撃を受けたのはオチの部分。以下オチ。

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 結局昨夜の妻と同級生の浮気は主人公の夢、と思わせておいて最後は現実に起きていた可能性をにおわせるという終わり方。まあちょっとひねったどんでん返しなんてよくあるじゃないかと思われるかもしれません。しかし、僕はある映画のラストを連想せずにはいられませんでした。その映画というのはドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『複製された男』。ネタバレ上等で書きますが、早い話が「性欲をコントロールできない浮気男が自分の負の側面を殺すことに成功したかに見えたものの結局だめでした」というストーリー。そのラストは、想像の中で性欲にまみれた己の象徴である「役者の自分」を殺して真面目に生きようと決心した矢先に、つい変態クラブへの招待状を見て「今夜は出かけるよ」と言ってしまうジェイク、そして夫が今夜も変態クラブに行くことを悟る妻(蜘蛛)を見て、ジェイクが「あーあ」といった表情で溜め息をつくというものです。

 

 では、『ネトラレ妄想シンドローム』と『複製された男』はどこが似ているのか。それは、どちらも「歪んだ性欲を持った男が、それを殺しきることができなかった話」なのです。結論から言えば『ネトラレ妄想シンドローム』のラスト、あれは「妻が浮気をしていた可能性」を臭わすのと同時に、「一線を越えた妄想の末に極限まで苦み、性癖との決別を誓った男が、結局は妻との会話の中にNTR妄想に結びつけられるワードを見つけ出し、再び妄想の世界に入っていく」ものと考えられます。もちろん浮気していた可能性を完全に否定することは出来ませんが、例えば本当にしていたとしたら、わざわざ「ピアスがベッドの下に落ちていた」というのも不自然でしょう。そもそも、妻が夫との性生活に不満を抱いている描写がなく(むしろ満足しているようにさえ見える)、また(やっぱり私が他の男とするのが見たいの?)というコマがあるものの、夫のNTR属性を察しているとは考えづらいので、やはり後編も夫の妄想、というか夢と見るのが妥当な気がします。思うに、前編では常に主人公の妄想であると明示しながら、後編では妻の視点で物語が進む、というのはミスリーディングを誘っているような気がします。第一、この物語のストリーテラーは夫なのに、妻の視点で物語が進むこと自体、これは彼の夢であるという風に見てもいいのではないでしょうか。

 

 しかし、なぜこの、一介のエロ同人CGが心に残ったのか。もちろん好きな映画の一つである『複製された男』と似ているという点にあるのですが、それはジェイク・ギレンホールというイケメン俳優が浮気男を演じているのに対し、こっちは冴えないNTR妄想癖のサラリーマンなので、いっそう自分に重ねあわせやすいのです。そもそも、こんなCGを買っている時点で僕はNTR好きのしょうもない男なわけですが、やはり彼女ができたら、結婚したら寝取られてしまうのではないかという恐怖が常にあります(どうせできないというのは置いておいて)。そして、この作品はNTRモノとして出来がいいことに加え、最後に(それまで散々楽しませておきながら)そのような自身の男性的魅力へのコンプレックス、そしてそれ故にNTRに引き付けられてしまう矛盾を突きつけられたような気がしました。『ファイト・クラブ』が好きだという時点でコンプレックス丸出しなわけですが。

 

 PS.NTR妄想をする男、というところではスタンリー・キューブリック監督の『アイズ・ワイド・シャット』も思わせます。こちらも「夢か現か分からなくなっていく」系のお話です。

 

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