ロシャオヘイセンキは赤いのか?(『羅小黒戦記〜ぼくが選ぶ未来〜』雑観)

しかし、これが現代の中国で作られることに、幾らかの悩ましさを感じざるを得ない。

それは、ストーリーに対する感触だ。

もっとも、この映画の見どころは、なんと言っても作画のほうにある。本来日本アニメが得意としたような空間表現、その空間を利用したアクションとそれを見せるカメラワークにずば抜けて優れており、これを見るためだけに鑑賞料金を払っても十分に元が取れる作品だと断言できる。

だが、そのストーリー。王道な展開と、オマージュというか映画的記憶というか、平たくいえば、どこかで一度は見たことがあるようなイメージを素直に使うことによって、かなり大胆に説明を省略し、100分の上映時間の中にアレコレとやりたいことを詰め込みつつ、分かりやすいお話に仕立て上げている、といったところなのだが。もちろん、本作がwebアニメシリーズの拡張であるために、さほど背景の説明を求められていなかったり、独立した作品としての脚本の完成度を前提としていなかったり、という部分もあるとは推測できる。とはいえ、自分が疑問を感じるのは、ストーリーの完成度の部分ではなく、何を、どうやって描いているか、という点だ。

 

 

 

<ここからネタバレ>

 

 

 

本作のおおまかな構図は、人間に住処を奪われている妖精たちの宥和派と強硬派の間の対立が主軸だ。

(以下あらすじ)

人間に故郷を奪われ都市で孤独に暮らす主人公シャオヘイはフーシ―と出会ったことをきっかけに、妖精の仲間たちとの共同生活をスタートさせる。しかし、それもつかの間、妖精と人間の間の調整を行う組織「館」の執行官ムゲンが現れ、シャオヘイはさらわれ、仲間と離れ離れにされてしまう。はじめはムゲンを敵視していたシャオヘイだが、「館」までの道のりをともに旅することで外の世界を知り、心を通わせることで、やがて二人の関係に変化が訪れる。物語の後半、シャオヘイを取り戻すために現れたフーシーが実は、人間を排除した妖精の居場所を作るためにシャオヘイの特別な力を利用しようとしていたことが分かり、避けられない戦いがはじまる。

(以上あらすじ)

結論を言ってしまえば、人間を強制的に排除しようとするフーシーを倒すことで、人間と妖精が共存できる社会を作っていくためにまたイチからガンバロー、というオチ。穏当な結論と言えばそれまでだし、さもありなんという域を出ないのだが、この描き方というのが最初に書いたように、現代中国でやるにはかなりポリティカルにサスペンスフルなのである。どういうことか。

本作における妖精たちの多くは、人間から離れた場所で静かに暮らしていたようだ。そこに、人間たちがどんどんと入植してきては森林伐採、工場を建て、都市化を進めていき、住処を奪われた。例えば、とある妖精のセリフに「数百年の間、誰も来ない洞窟で静かに過ごしていたが、人間が現れたせいで洞窟は観光地にされてしまい、もう帰れない」といったようなものがあった。妖精たちは、人間の前でありのままの姿を見せることが禁じられており、擬態することがルールだ。具体的なところはよく分からなかったが、「館」というのも人間世界から隔離された空間にぽつんと浮かんでおり、ここで妖精は生活の支援を受け暮らしている。一方で、妖精たちはスマホを使いこなすなど、人間文化にも親しんでおり、故に宥和的なムードが妖精界では主流?っぽい感じ。

ここまでで勘のいい人は気が付くかもしれないが、この人間と妖精の関係というのが、どうも漢民族少数民族、とくにチベット人ウイグル人との関係と重なって見えてしまうのである。チベット仏教寺院やモスクが取り壊され、あるいは改装されて観光地化の進んでいることは、日本の新聞でも報道されている通りだ。漢化政策が進行する中で、そこに住んでいる人の多くは自らの文化を慎み、共産党社会主義核心価値観に適応することが求められる。表向きとしては、投資もしてやったし、近代化も進んで便利になって、”職業訓練”もしてやってるし、どんどん生活も豊かになってるよね、といった具合である。そして人間文化のいいところを代表するのがスマホという描写も、中国特有のデジタルテクノロジーを駆使した統治功利主義を彷彿させるアイテムになっており、なんとも言い難い味わいがある。

もちろん、本作では人間による妖精の住処の破壊を批判的には描いているし、滅んでゆくフーシーへの同情的なまなざしがないわけではない。それだけではないにしろ、このアニメが中国共産党少数民族政策を正当化する意図で作られていると言うつもりは僕にはない。しかし、劇中で人間と妖精の共存というシステムの絶対性が疑われることもなく、共存というよりも人間の文明に妖精の生活が包囲されていると言った方が相応しい実情に対するエクスキューズもまた、ない。

いや、分かる。それほど真面目なトーンの作品じゃないから仕方がないじゃないかという気もするし、あるいはwebアニメのほうで色々細かい捕捉はあるんじゃないかという感じもあるし、元々海外展開なんて考えていなかったという監督のインタビューもあるし、なにより僕が過剰にセンシティブに斜めからストーリーを見すぎているんじゃないかとか、とにかく、言いたいことは分かる。

しかし、あくまで、これを一つの独立したアニメ映画として向き合った場合に、現代中国社会でこういったストーリーが紡がれることの時代性が頭をよぎる時、どうしても素直に面白がることのできない自分がいる。