日記③

7/5

思弁的な人間は構造を置き去りにする一例。

東浩紀が、政治的に正しいリベラルエリートが儲けて権威的な指導者を求める大衆は搾取されてる、という趣旨のネット論客に影響を受けたアニメアイコンの大学2年生みたいなことを言っていた。しかし、例えばアメリカの事例を見ると、トランプ支持者のほうが高所得であることは調査によって明らかになっている点で、独り歩きしたイメージをこねくり回した痴れ言あることは明白だ。

都市部のテック産業の従事者など高所得で「リベラル」な層が存在することや、主流メディアやアカデミアなどの内部にいる社会的地位が高く発言力のある人々が概ねの傾向として「リベラル」であるのは部分的に事実であろう。しかし、事程左様に、歴史的に構築された複雑な構造の上にある社会を論じるにあたって、現実の状況から目を逸らせるような戯画化された二項対立を持ち出す必然性は存在しない。

では、なぜある種の人々はそうした行動に走りたがるのか。身も蓋もないことを言えば、それこそ、彼らのくさす「論壇」が、(とくにアメリカ社会の分析に顕著だが)あっちを向けば「二極化」こっちを向けば「分断」などど盛んに言い立てるからに尽きるように思う。論壇内の、「分断」をテーマに政治を論じるゲームにはしゃいでいると切って捨てることもできるが、文壇に身を置く人種というのが、実際の構造とその複雑性に向き合うのではなく、空想的思弁にふけることが癖になってしまっていることに根本的な問題がある。

もちろん、実際の構造がどうであれ、意識の次元において「分断」がリアルであると感じられていることが問題であり、その認識フレームが再帰的にリアリティとしての分断を生み出す(さながら予言の自己成就のように)ことにこそ注目すべきだという主張はあり得る。とはいえ、それこそ、「分断」と分断を架橋する現象に対して、机上の空論やウケのいいカリカチュアなどではない、抑制的な分析の目線でいることが重要であるのは言うまでもない。

 

ゴジラvsコング』の小栗旬、絶対オイシイ役なんだろうな~と思ったら、扱いの酷さになんともいえない気持ちになった。なんかレジェンダリー?ワーナー?の日本に対するファンサービスでしかないのかな。それか東宝の要望とか。

それを言うと、そもそもゴジラ側のプロットは全体的に薄味。コングが主人公だからとか、ゴジラは意思疎通不可能な存在で人格化しづらいとか、色々理由は考えられるけど。それでも最後はヤンキー漫画みたいに拳を交えて強敵(トモ)になる展開になり、『キングコング対ゴジラ』の煮え切らない感じよりは良かったと思う。

 

7/6

『RUN』かなりタイトで引き締まった映画だった。よくよく思い出すと舞台も限定されていて大小発生するイベントの数も少ないし、かなりあっさりしてるんだけど、それでいてちゃんとしたジャンル映画を見た感触は確かにある。

そのサクサク感の理由のひとつは、娘がちゃんとしていること。母親は娘を自分に縛り付けるため毒を盛って障がい者にしてしまうわけだけど、理想の母娘を演じることが目的なために、理想の母親として振る舞い、理想的な(頭のいい、要はちゃんとした)娘に育ててしまい、結果ちゃんとしているが故に毒を盛っていることがバレてしまうというジレンマ。

一方で、薬局に向かう場面や部屋から屋根伝いに脱出する場面など、ここぞというイベントでしっかりとアクション、サスペンスを仕上げているのが上手く(車椅子で横断歩道を渡るシーンの子気味良さ、地味にずり落ちながら屋根を這うあたりの気の利いた演出)、総じて質の高いジャンル映画としての満足感がある。

父親(この場合は母親の夫のほう)の不在が気になる(明かされてなかった気がする)けど、良しにつけ悪しにつけ、そこは気にせずフェミニスト批評的な文脈で母娘関係を見るのが正解っぽい。

 

7/7

 日本人男性や白人男性が「行き過ぎたアイデンティティ・ポリティクス」や「政治的トライバリズムの到来」とかいった言葉をこれ見よがしに唱えてみせることへの違和感。(これは僕の偏見だろうか?そうしたことを言いたがる人のほとんどは、都市在住で、中産階級のホワイトカラーで、大卒で、日本人男性、もしくは白人男性である。)

 そもそも、ある一群の人々にアイデンティティ・ポリティクスを志向させる根本原因はなんであろうか。なぜ、彼ら彼女らはアイデンティティを自身の政治的テーマの第一義とするのだろうか。人種、宗教、ジェンダー。それらアイデンティティに向き合うことを余儀なくされる構造が存在しているはずだ。逆に言えば、である。それは日本で、あるいはアメリカにおいて、大卒の、中産階級に属する日本人・白人男性が、とりわけアイデンティティの問題で思い悩まずにいられる構造だ、

この問題は有徴/無徴の考え方を用いることで簡単に整理できる。一般的にいって、アイデンティティポリティクスに参与する人とは、日常生活を営む上で、自らのアイデンティティがまさにそれであるが故に不利益を被った経験のある人たちだろう。

たとえば、この国で同性婚が法的に認められていないことは、人間は異性を愛するのが”普通”であり、婚姻関係は異性間で結ばれるのが”普通”であるという価値観にもとづき、婚姻制度を”普通”の異性愛者に限定したことの帰結である。”普通”とはすなわち、無徴であるということだ。特異なアイデンティティ─徴を有していない、無色透明で規格の内に収まった存在。そうした”普通”の人々は、特異なアイデンティティを有している(と見なす)”普通”ではない存在を、自己と切り分ける。そこで構築される”普通”のシステムは、”普通”ではない人々の存在を想定しないものとして出来上がる。特異な存在として、有徴の存在として切り分けられた同性愛者は、そこにおいて自身のアイデンティティを絶えず自覚させられ、そうしたシステムに変更を迫る政治的主体として声を上げるに至るのだ。

それはなにも大げさな政治システムに限られたことでなく、日常の作法においてもそうである。女流作家とか女性監督とか女医とか言っても、男流作家とか男性監督とか男医とはわざわざ言わないことを思い起こせば理解は容易い。男であれば、それは単に作家であって監督であって医者であって、余計な修飾─徴を付け加える必要はない。肌の色を見れば、Whiteが”普通”であるのに対し、Colored はさながら真っ白なキャンバスに余計な色を塗り付けられた有徴の存在である。

事程左様にアイデンティティポリティクスとは、”普通”の範疇から排除され、有徴としてまなざされるマイノリティが、その徴としてのアイデンティティを如何に引き受け、”普通”のシステムに対し如何に変革を求めるかという運動である。であるならば、日本人男性や白人男性が、そうしたマイノリティへの最大限の擁護を伴わずして「行き過ぎたアイデンティティポリティクス」だの「政治的トライバリズムの到来」だのうそぶいてみせることは、畢竟ポジショントークとの誹りを免れ得ないだろう。

(もちろん、ジェンダーや人種の問題が大いに経済的問題でもあること、その相互作用を見定め、文化的論争にとどまらない再分配の在り方についてリベラル勢力がよりはっきりと論じるべきだと主張することの妥当性を否定するものではない)(また、文化的論争ばかりが、少なくともメディアの表層において、中心的議題となることが、白人至上主義に類するマジョリティ側のアイデンティティポリティクスを引き起こしているのではないかと批評することについても同様である)

ちなみに、僕が「異常独身男性」というミームに対して、強烈な拒否反応を覚える一因もこういった文脈の中にある。そう名乗りたがるオタクの多くは、四年制大学を卒業し、まずまずの企業に勤めるホワイトカラーであって、異常というには規範に沿ったライフコースを辿っている人間だ。また、20代男性の未婚率は70%である。くわえて、言うまでもなくこの社会は、特に勤め人であるなら尚更だが、男性であることをデフォルトとして設計されており、そこであえて独身であること・男性であることを強調し自身の有徴性を嘆いて見せるのは全く筋違いだ。

自身の生きづらさを、自身の生きづらさとして、自身の言葉で話せ。そうした上で、その生きづらさが男性性に起因するものであると気づきを得たならば、また別の道が開けるだろう。しかし、もし、単にオタクインターネットに蔓延るホモソーシャル風土の中で、無批判にミームをコピーしているだけならば、その「異常独身男性」とは「キモカネ」や「弱者男性」、その裏返しとしての「そんな私にも理解ある彼くんがいます」といった悪意にまみれた稚拙なミームの自虐的ヴァリエーションに過ぎないことを自覚すべきだ。

 

7/8

バケットハットを買った。無職になってからなんとなく近所の人の目が気になりだし、できるだけ”普通の人”に擬態したほうがいいなと思い始めたので。あと帽子被れば寝ぐせとか直さずにコンビニ行っても大丈夫だし。

 

マックチキンナゲットの焦がしにんにくラー油ソースめちゃくちゃ美味しいです。

ただマジで辛くて夜お尻が崩壊(こわ)れた。

 

7/9

家に帰って袋を開けたら買ったのと違うバケットハットが入ってたから取り替えてもらいに行った。それを選ぶ会話の流れも詳細に記憶しているので間違いないと思うんだけど、いざ店員に「??こちらのLサイズを購入されたんですか?」みたいに聞かれると、(あれ…?鍵閉めたっけな…?)的な心理に陥り、自分が勘違いしてるだけで店員が間違って入れたわけじゃないのではないかと頭がグルグルしだす。まあ取り替えてもらったけど。

 

平日の昼間にブックオフで立ち読みしてる人間、身なりや表情からしてこう、””虚ろ””を醸し出していて、なんだかつらくなった。(それを観測している俺もまた……)(無職である手前、やっぱり出来るだけ醸し出す””虚ろ””を希釈しなきゃいけないなという思いを新たにした)

 

7/10

本当に良い喫茶店、ココアの味で分かる説

 

7/11

失踪日記』のアル中病棟編、病棟を仕切ってる謎のシスター(ヤクザもビビらせるスキンヘッドの巨漢を従わせている。どうやら本当はアル中でもなく、潜入捜査をしているらしい。急に芝生でゴロゴロし出す。)のキャラクターがよすぎる。