日記⑦

8/16

ゲームセンターでアップルジャックのBIGぬいぐるみをGETした。

↓大きさ比較。かなりBIG。かわいい。

f:id:metasiten:20210817230734j:image

https://twitter.com/mylittleponyjpn/status/1423878792397791234?s=20

クレーンゲームをまともにやった経験がない、少なくとも物心がついてから真剣に欲しい物を狙ってやったような経験はないので、ゲームセンターに行く前はかなりナーバスな気分だった。どうせウン千円くらい使わないと取れないんじゃないの、みたいな。家で「UFOキャッチャー コツ ぬいぐるみ」とか調べて出てきた動画をいくつか見て臨んだ。

ところが蓋を開けてみると1回で取れてしまい拍子抜け。1ゲーム200円、3ゲーム500円。最悪の事態も想定して、最初から全力でいこうと500円を投入してからの1回目なので、実質200円というか、300円分は損。残り2回分は適当にプレイして消化。まあ他のポニーも取れたら取れたでうれしいかもだけど、如何せんBIGなのでMane6全員揃えるとかさばるし、でも2個3個取っちゃったらこの際6個全部揃えなきゃ収まりが悪いし、という強迫性障害じみた思考の結果、下手に本気で取りに行こうとせず、一番好きなアップルジャックひとつで満足するのが吉という結論に行き着いた。強いて言えばレインボーダッシュとペアにできるなら悪くなかったけど、ダッシィはBIGぬいぐるみ第一弾なのでそれも叶わず。

2回目3回目はフラタを置いてもらって一応やったけど、たぶん適当にやらなくても簡単には取れなかっただろうし、順当に500円だけ使いAJをGETして帰宅。アームがうまい具合にAJのポニーテールに引っかかってくれたことが勝因だと思う。無職の成人男性が巨大なぬいぐるみを担いで帰るのは恥ずかしいと思うくらいの理性は残っているので、店員さんがくれたビニールの袋からさらに自前の紙袋に入れて持ち帰りました。

 

8/17

発狂

 

8/18

ローラ・マルヴィの「視覚的快楽と物語映画」を読む。仕事を辞めてからの読書に一貫していることは、なんとなく内容は知ってる、大学の授業で重要なページが印刷されたレジュメは読んだ、みたいな本をまるっと読むことです。

で。実際に読むと、今日的に見てもその有効さが損なわれていない議論の明晰さ、鋭さにひたすら膝を打ってしまう。少なくとも、男性観客と父権的社会の無意識が投影されたメディアにおける女性の表象、といった関係に絞れば、現代日本のおよその主流メディアにも当てはまる分析だと思う。

まあ、月並みなようだけど、それだけ日本社会において規範意識の変化がないことの裏付けかもしれない。あるいは、そうしたメディアの在り様が、観客の価値観を再生産するという、相補的な関係の内側にある循環。

例えば、なぜTwitterアニメアイコンは女性の描いたエッセイ漫画を叩き、嘲笑することにあれだけ執着するのかという、至極卑近かつクソどうでもいい話だが、やはり、そこにも構造的な問題があるわけで。マルヴィの精神分析を用いた映画理論的に言えば、男根中心主義(ファロセントリズム)によって規範(コード)化されたメディアの表象においては、女性は去勢不安の象徴としてしか描き得ない、つまり、女性を罰するなり救うなりの男性による支配を通して神秘性を剥ぎ取るか、逆にフェティッシュとして崇拝することを通して神聖化し祀り上げるか、どちらにせよ去勢不安を取り除くための客体として描くわけだ。逆に言えば、女性主体を、そこに内在する女性の自我を描くことは、極めて去勢不安を現前化する行為であり─なんでも去勢不安で説明ができると思っているわけではない。しかし、女性主体を描かないことが規範化されたメディアによって構造化された男性の意識が引き起こす、ヒステリックな拒否反応の説明としてはさほど的外れではないだろう。

また、マルヴィの理論は女性の主体性─とくに観客としての─を置き去りにしている点で反発を呼ぶものであったわけだが、自分の目で確かめてみれば、マルヴィ自身も女性の主体性を論じる必要があることを分かった上で、まずは父権社会─男性中心主義のハリウッドの無意識を暴き出すことが最初の一歩だよね、というエクスキューズも述べている。こういうのは、まぁ~そうだよねそれは、ということなんだけど、やっぱり実際に読んでみないと分からない。映画史、フェミニスト映画(理論)史における評価─マルヴィってこういうことやった人でしょという話─と、マルヴィ個人の思想─そういうことやああいうことをやる必要性有用性を認めてはいたけど、まずこういうことをやったという話─には、当然それぞれ文脈がある。

 

8/19

寝ても覚めても』を見た。濱口竜介東出昌大づかいが上手すぎる。後半の麦の登場シーンとかほとんどホラー。東出昌大の無機質さ。あとは海辺と喪失の取り合わせも『スパイの妻』と通ずる部分。あと猫。

 

8/20

8/18の追記。

テレサ・ド・ローレティスによる「女性映画再考 美学とフェミニスト理論」の位置づけは、マルヴィに代表されるテクスト分析(男性中心主義のハリウッドに対する批判的な動き、客体として描かれてきた女性表象の分析)の隆盛した第二期に対して、そこで掬いきれない女性観客の主体性や、レズビアン、非白人などのマイノリティ女性の問題を論じた第三期を代表する論文ということになる。

で、そのド・ローレティスがマルヴィをどう評しているかと言えば、「過去の論文を今の時点で読み直してみると、映画言語とか女性の美学といった問題は、女性運動との関連性において初めから、明確にされてきたことがよく判る…」という流れの中で言及している。

やっぱり、〇〇史のアウトラインだけで知った気になっていると、こういう血の通った枝葉の部分を見落としてしまう。少なくとも、連帯を志向するフェミニズムの範疇である当該学問分野にあって、こうした機微は重要なんだろうなと思う。

 

8/21

発狂。

 

8/22

発狂。

 

引っ越しの準備が忙しくなってきたため、集中して本を読むのが難しくなり、大変厳しい。暇なタイミングでも落ち着かず、とにかくYouTubeを眺めてボーっとしてしまうのがとてもよくない。(とくに理由はないけど高校生の頃サッカーをよく見ていたのを思い出し、当時のEUROやワールドカップのハイライトやゴールシーン集ばかり見ています)