感情のアリーナにて──決闘をする/しないということ(『最後の決闘裁判』感想)

 決闘裁判は、紛れもない感情のアリーナである。それぞれの人間が、それぞれの感情を演じる場である。

 決闘裁判というアリーナへ、ある3人の人物がどのような感情を携えてきたのかを語ることにこの映画の主題はある。登場するキャラクターの感情を物語らない劇映画など(ほとんど)存在しないじゃないかと思われるかもしれない。しかし、これほど名誉という感情の実態、とくにそれがジェンダー的に構造化されている様を鮮烈に描いた映画はそう多く存在しないだろう。

 

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 『最後の決闘裁判』の線的なストーリーはいたってシンプルだ。勇猛果敢な騎士ジャン・ド・カルージュ(マット・デイモン)と知略に長けた従騎士ジャック・ル・グリ(アダム・ドライバー)はかつて親友であったが、細かなすれ違いやカルージュとマルグリット(ジョディ・カマ―)との結婚から生じる領地相続の問題を経て、その仲は険悪になる。途中和解の場が設けられるが、ここではじめてマルグリットを目にしたル・グリは彼女に恋をしてしまう。マルグリットとの関係を夢想するル・グリは己の欲望を抑えきれず、カルージュの留守の間に彼女をレイプする。戦場から帰還し、妻からその事実を知らされたカルージュは、憎きル・グリとの因縁に決着をつけるため、ここに決闘裁判を開くこととなる。

 

 この映画が特徴的なのは、そうしたストーリーが三章立てで、三者三様の視点から構成されていることだ。そして、それは単に、黒澤明の名作『羅生門』に対するオマージュにとどまらない。

 カルージュの視点から語られる一章目と、ル・グリの視点から語られる二章目は、両者がプライドと名誉をかけて互いの主張を戦わせているように演出されている。

「あの時命を助けてやったのに」「その前に俺がお前を救ってやったんだ」。「ピエール伯におもねって俺から領地を奪ったくせに」「むしろ俺はお前をかばってやってたんだ」。「お前は俺の妻を犯した」「いやお互いに合意の上だった」。

 このように相反する両者の物語を、三章目にいたりマルグリットの視点から俯瞰することが、戦う男たちとそれを眺めるしかない女という決闘シークエンスそのままの構図の再現になっている点は注目に値する。マルグリットは事件の中心にいながら徹底的に疎外されているが故に、メタな視点を備えた語り手としての地位を持つことが可能になっており、また本作が『羅生門』のエピゴーネンではない理由の一端である。

 例えばこの章では、彼女が女らしさの規範から徹底的に抑圧されてきたことが語られる。複数の言語を操り算術に長けていながら、才能を封印して夫を立てることが求められる。子どもを産まないことで責め立てられる。レイプされようとも、女のくせに一々声を上げるなと睨まれる。こうして、男たちの猛々しい物語の狭間で語られなかった事実が明かされる。

 であるから、カルージュもル・グリも、真実や正義のために法廷で争うのではなく、己の名誉のために決闘することを選んだ経緯というのは、理解に容易い。実際、彼らは劇中で「名」や「名誉」といった言葉を繰り返し口にする。事程左様に、決闘とは名誉の感情が演じられるアリーナなのだ。

 一方、事件の当事者でありながら、自らの運命を男たちの決闘に委ねなければならないマルグリットの名誉とは如何なるものなのだろうか。

 それがよく分かるのは、マルグリットがカルージュに、ル・グリからレイプされたことを打ち明けるシーンだ。その事実を知ったカルージュは「あいつはいつも俺に対して邪悪なことをする!」と叫び、あろうことかマルグリットの首を締めあげる。ここで重要とされるのは、仇敵に所有物としての妻を汚されたことで損なわれる夫の名誉であり、被害者として妻をいたわる姿勢は皆無である。

 その後、公正な裁判を求め声を上げたマルグリットが周囲から心無い言葉を投げかけられることが示しているとおり、この時代の女性にとっての名誉とは貞淑であることの一点でのみ認められるものに過ぎない。つまり、マルグリットの名誉とはレイプされ、あるいはそれを明かして声を上げた時点で、もはや永久に失われてしまったのだ。

 しかし、より深刻なのは、マルグリットが社会から押し付けられた「貞淑な妻たれ」という“女の名誉”を自ら手放した事実である。彼女はジェンダー化された社会規範としての名誉よりも、“自己の尊厳”を保つために声を上げ、法廷での裁判による公正な判決を求めた。しかし、決闘を要請する男たちの名誉の前に、その道さえ閉ざされてしまうこととなる。

 カルージュは妻の意見などお構いなしに、損なわれてしまった名誉を取り戻すため決闘へと突き進む。命をかえりみずに闘うことで男らしさを示せば、彼の名誉は無事に回復されるからである─逆に決闘をしなければ、妻に手を出されても大人しくしていた男として名誉を失っていただろう。

 決闘のシークエンスでは、滑稽なまでに猛々しいカルージュとル・グリ、ことの行方をやるせなく見つめるマルグリットとの対比─繰り返しになるが、この構図は三章立ての物語構造と韻を踏んだそれである─の中に、名誉をめぐるそうした状況が視覚的に描かれている。つまり、決闘裁判という感情のアリーナにおいて、名誉を演ずる男たちと、名誉を失い尊厳すら取り上げられ、自らの行く末を彼らに任せるしかない絶望のみを携えた女の対比である。