日記⑫

11/25

結局は歴史性に対する態度なんだなという話。

 

なぜか日本の論壇の一部では90年代アメリカの文化戦争の焼き直しのようなアイデンティティポリティクス批判が流行っているようでバカばっかだ全く(Awich)と言う他ない。そもそも、ロビー活動や利益団体の例を出すまでもなく、ある集団がその集団にとっての利益を引き出すべく政治に訴えかけること、それ自体を批判される言われはないはずだ。階級の問題に焦点を当てないでどうするだって?1950年代以前のアメリカがどういう社会だったか、言われないと分からないのか?それとも、とぼけているのか?ニューディール連合や教会組織が黒人を解放したというのか?

それに、文化戦争といえば多文化主義に対する批判だろうけど。なぜ多文化主義からアイデンティティポリティクスに主語をスライドさせているのかも疑問で、どうして政府だったり大学だったりの多文化主義政策の在り方に対する批判をすっ飛ばしているのか。まずすべきは権力や体制の見直しじゃないのか。「ふ~ん、ジェンダーとか、レイシズムとか、大事かもね。でも、お前らのやり方は間違ってるよ。」それが最初に出てくるようじゃあ、単なるパターナリズムだろ、エセ評論家(SALU)。

ともかく、人種もジェンダーも経済も、いづれの問題も複合的で、それらがいかにして複雑に我々の社会に根を張ってきたか、その歴史性に対する感度が鈍いようでは、実態に即した議論なんてしようがないじゃないか。

 

もちろん、それは各部族()に共通することでもある。最近一番実感するのは、Twitter上の『エターナルズ』をめぐるあれこれ。(少なくともアメリカのエンタメで描かれる)ポリティカル・コレクトネスが結局のところアメリカニズムに過ぎないというのは僕の意見ですが、『エターナルズ』において描かれる多様性にも、その一端はやっぱり見て取れる。言うまでもないことであるが、それは日本にポリティカル・コレクトネスが不要だとか根付かないだとかでは決してない。あくまでも、アメリカのポリティカル・コレクトネスにはアメリカの文脈があって、彼の国の歴史の中で構築されたものであり、無謬のグローバルスタンダードなどでは決してないということ。MCUの中で日本やロシアに対して向けられる眼差しにポリティカル・コレクトネスの欠片もないことと、『エターナルズ』で語りなおされる植民地主義は限りなく地続きだ。アメリカに固有の歴史性に対する目配せなしにハリウッド映画の多様性を称揚することは危険だろう。その多様性はいったい誰に対して開かれたものなのか。男性も女性もアフリカ系もアジア系もセクシャルマイノリティ障がい者もいる米軍基地のフェンスの外側に対する想像力を失ってはいけないのではないか、アメリカのカルチャーを愛好する者ならば。

 

12/5

上野でシュラスコを食べた。とにかく量が多かった。

そもそも食べ放題コースなんだけど、基本メニューを完食しないと食べ放題フェーズに突入できないシステム。この基本メニューの量が多いので、食べ放題に達する前にかなりの満腹感。まあ美味いしいいんだけど、それなりの値段なので元取りたいな~みたいなことを考えると、ちょっと悔しい。

 

で。その帰り、最寄り駅に着いたのが23時半とかなんだけど、家までの道で声掛け事案未遂っぽいものに遭遇した。

シュラスコで調子に乗ってハラペーニョソースを食べまくったせいで腹痛に襲われ、全力の早歩きで帰っていたら、後ろから自転車にベルを鳴らされた。邪魔邪魔って感じで迫ってきたというよりも、真後ろにピタッとくっ付いていて、呼びかけるようなニュアンスで鳴らされたように感じる。というのも、実際、その自転車に乗った中年男性はこっちをガン見しながらマスクを外そうとして、なにか言葉を発そうとしていたから。状況が状況だし、その瞬間は道案内か警察かと思って、イヤホンを外しながら「はい?!??なんすか??」とちょっとビビッて上ずった声で応答した。まあ、あの時間に自転車乗ってる地元住民が道案内とか、私服のママチャリ警官とか、ありえないんだけど。

すると、自転車男は僕の顔を見て一瞬けげんな表情を浮かべたら、外そうとしたマスクを戻して、そのまま走り去った。結局、その男は度々こっちを振り返っては睨んできたんだけど、何か事態に発展することはなく、曲がり角に消えていった。

最初は自分が道をふさいでいて邪魔だったのかと思ったんだけど、それはありえない。自転車男は僕の顔を見た後、その横を通り抜けて走り去ったから。僕は振り返ったけど一歩も動いてないので、最初から自転車一台分のスペースは十分にあったわけだ。それに、これはちょっと偏見だけど、歩道の通行者に邪魔邪魔とベルを鳴らした挙句攻撃的な態度を見せる中年男性が、最後まで怒鳴ったりブツブツ文句を言ったりもせずにコトを収めるなんてありえるだろうか(=邪魔だったからキレてたわけじゃない?)。やっぱり、僕の顔を見て急に態度を変えたところが肝。

すると、僕を女だと勘違いして何か言ってやろうとしてたんじゃないかと考えるのが妥当だと思われる。若干だけど髪は長めなほうだし、この日はぶかぶかのフリースにジーンズにスニーカーで、ママ上が縫ってくれたマスクの見た目もピッタマスクっぽいし、それにトートバッグを持っていたから、夜の暗がりで後ろから見れば、女と勘違いしてもおかしくはない、たぶん。で、それが男だったから、何か言いかけたけど、何も言わず去っていったという。繰り返しになるけど、追い越すスペースは十分あったし、仮に単に邪魔でベルを鳴らしたんだとしても、邪魔だってんでわざわざ文句をつけてやろうとするプッツン系の手合いが、僕の顔を見て引き下がったのはなんとも不自然。

それに、そもそもあんな時間に自転車で繰り出してなにしてんだというのはある。記憶が確かなら、カゴに荷物を積んではいなかったし、たぶんライトもつけていなかった。やっぱり、なんか怪しいんだよな~。急ぐ用のある時間でもないし、本当の緊急事態だったなら端から車道走るとかさ。

ぐるぐる頭の中で推測を繰り返しても意味ないんだけどね。ただ、考えれば考えるほど、女性を狙った声掛け事案に類するそれだったんじゃないかと思えてくる。この辺わりと治安のいい住宅街だと思ってたんだけどな~。それこそ、歩行者をすぐ怒鳴りつけるタイプのプッツン自転車おじさんだったら、こういう人いるよな~困るな~で、まだ話は早くて。仮に性犯罪者やキャット・コーリングのたぐいじゃなかったにしろ、ちょっと情緒のおかしい挙動不審な、しかもそれをオフェンシブに発現させてくるような人が自宅の半径100m以内を、少なくとも行動圏にしていると思うと、結構ちゃんと怖い。変な自転車の中年男性をまず「道案内か?警察か?」と思えてしまう能天気な男の僕でこれなんだから、夜道を女が一人で歩くのってマジに怖いだろうなと、急にリアリティがぶわっと浮かんできちゃった。

その時のことに話を戻せば、いきなり意味不明なイベントに遭遇したせいで、ハラペーニョによる腹痛が一瞬でおさまったので、ちょっと助かった感じもあったりしました。