日記①

6/25

オッサンになるというと、文字通りだんだんと「成る」ものだと思っていたんだけど、むしろその進歩のなさ故に精神の輪郭がオッサンへと定まっていくんだというのが実感として分かってきた。

つまり、自分が変化してオッサンになっていくのではなく、社会や身の回りが変化していくのに対し自分が変化をしないことで、自然と古臭い趣味(ここでいう趣味というのはハビトゥスであって、価値観から言葉遣いなどを含んだ体系のこと)の人間が浮上してくるというか。それは当たり前といえば当たり前なんだけど。古い頭、守旧的な価値観ってことは変化してないってことだし。

ただ、ユース・カルチャーの普及、定着以降のそれって残酷だなと思うのは、若い趣味のままオッサン化していくところ。もちろん当の”若い趣味”は時代と共に古臭くなっていくんだけど、しかし決定的に若い趣味でしかなくて。一言でいえば、幼稚なオッサンの正体、になる。

ハイカルチャーはクラシックであるから、昔のものであっても古びない価値を持っている(もちろんそれは本質的な価値ではなく、言うまでもなく社会的に構築されたそれであるが)。対してサブカルチャーは(ハイに対する)カウンターであるが故に絶えず更新を強いられ、価値そのものが古びてしまう。いつの時代もクラシック音楽を嗜む趣味人はいるが、今日日テレビの懐メロ番組で歌謡曲に聴き入るのはオッサンオバサンだけである。

まあ音楽の趣味であれば個人の好き好きじゃんでいいと思うんだけど、”趣味(=ハビトゥス)”総体においてそれが顕著だと、すこし痛々しくて見ていられない。自戒を込めて。

 

6/26

無職になってからコンビニに行く回数が増えた気がする。コンビニで何を買うかと言えば、だいたいはお菓子とコーラ(最近ペプシにハマっている。コカ・コーラと違って飲んだ後歯がキシキシしない気がする。)くらい。

「コンビニは都会のオアシスだ」なんて常套句もあるが、なるほど確かにオアシスかもしれない。どういう点でオアシスかといえば、簡単に贈与のシステムに参加することができるところだ。すると、人間関係のほとんど途絶えている無職からすれば、フラっと意味もなくコンビニに寄って、贈与の体系の中に身を置くことで、お手軽に社会的な存在である自分を繋ぎとめることができると無意識的に気が付いているのかもしれない。

 

6/27

漫画も映画も好きだけど、「その作品からどのような影響を受けましたか?」みたいな質問をされると、前者のほうが圧倒的に答えづらい。個人的な感覚なのかなと思ってたら、意外とそう思う人もいるっぽい。「漫画で人生変わったって言われてもなあ」という感覚、別に漫画のほうが低俗だからとか、そういう話ではなく。

雑観としては、漫画はクールなメディアであって、映画はホットなメディアである点が、そうした感覚の原因なのかもしれない。(メディア論の本を読みなおしていて気が付いた)

 

6/28

『ベイブ』は吹替で見た方が面白い。逆に言えば、字幕で見てもあまりメリットらしきものを感じられない。全体的にセリフが少なく(ちゃんと動物の表情で見せる演出が多いからか)、そのセリフも動物に役者が声を当てている分、演技がかっているので、そうなるといっそ吹替のほうが声優の演技の味があっていいという結論。