日記⑨

9/20

中華街で飯食って喫茶店で本読んだ。

 

9/21

親ガチャという単語、中高生が使うならともかく、いい大人まで乗っかって「いや、これは一考に値する…」みたいな神妙な顔し始めたのが正直厳しい。

究極的には親の間の差異を排することは不可能なのに(私有財産の否定どころか、あらゆる身体的文化的差異も否定されることになる。それでいいなら構わないが)、ことさら親について語ろうとすること、及びそれに正面から与することは、問題を不必要に分節化することになる。そこで社会は語られず、問題の所在は個別の家庭のエピソードの内側に閉じ込められてしまう。

どのような社会にあっても人間の差異はなくならないという前提に立つならば、本来論じるべきは、教育や福祉における再分配がうまく機能していないということであり、生育環境の影響をより濃く受ける(新自由主義を背景とした)ハイパーメリトクラシーの弊害じゃないのか。そこまで行かないとあまり意味ないんじゃん。

 

9/22

ワクチン接種2回目。とにかくワクチンを打ったところ(左肩)が痛い。1回目のときは青アザができたような感じで、ぐっと触ると痛いけど、それ以上のことはなかったイメージ。今回は露骨に腫れあがって熱も持っているのが辛く、寝返りも打てない。

 

9/23

1回目のワクチン接種のときにはなかった副反応だが、今回は寒気も止まらない。風邪のひき始めみたいなぞわぞわ。

 

9/24

感情史の方法論が面白い。『感情史とは何か』を読んで、自分が学部生の時に持ってた関心に欠けてたピースのひとつだなと思った。

当然、何が何でも「感情」にフォーカスした議論の展開をする必要はないんだけど、社会的な事象がどう表象されてきたのかというざっくりした自分の関心の在り様に、なんとなく落としどころを見つけられていないようで悶々としたまま卒論を書いた身としては、何かの答えになった気がする。

別に他人の研究を読む分には面白く消化できるんだけど、いざ自分が研究するとなると、どんな切り口にせよ「それが分かったからなに?」という疑問を結局最後までぬぐい切れなかった。まだ言語化できていないけど、個人的に感情史はそこに意義を付加できる方法になり得そう。

 

9/25

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2』読んだ。俺はノンフィクションが一番面白く読めるんだなというのを自覚しつつある。

 

9/26

スパイダーマンの映画シリーズを復習し終わった。個人的にはマーク・ウェブ版が一番好きかもしれない。

なんとなくジャンル映画とかアメコミ映画とか好きな人たちの間でサム・ライミ版こそが至高とされ、マーク・ウェブ版は見下されている風潮があると思う。それに対する逆張りが全くないとは言わないけど、自分は一応どっちも見ているはずだけど全然ディティールが記憶に残っていないので、今回フラットに見比べることができた気がする。

それを踏まえて言うと、マーク・ウェブ版のほうがスパイディの陽気さが際立っていて、それがニューヨーク市民に愛されるキャラクターとしての説得力にも繋がり、かつ監督の爽やかな持ち味ともマッチしているところがいい。というか改めて見ると、トビー・マグワイアのピーター・パーカーが挙動不審すぎて、あまりチャーミングじゃないのが見ていてノレない。まあアンドリュー・ガーフィールドのピーターも文系感がかなり強くて、端から別人な感じではあるんだけど。とはいえ、エマ・ストーンとのアンサンブルがズルすぎて、それで全部成り立ってしまう。

ジョン・ワッツ版も好きではあるんだけど、こういうかたちで見比べると、如何せんMCUが枷になっているというか、別物だよなと思う。一番魅力的な役者はトム・ホランドだと思うので、一長一短。

あとは、ウェブを使ったアクションの多彩な見せ方に一番向き合っていたのもマーク・ウェブ版だと感じる。サム・ライミ版はCGの技術的な制約のせいもあると思うし、逆にジョン・ワッツ版は色々やっているんだろうけどアクションの見せ方に力が入っていない。その点、マーク・ウェブ版だと糸のたわみとか伸縮性、粘着性そのものをねっとり描写していて、またそういう素材を使ってどうアクションさせてどう映すかに熱を感じる。