『シン・エヴァンゲリオン劇場版』感想

 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見て、なぜこんなにも動揺させられるのか。感動だとか好きだとか、あるいは庵野に対する関心だとか、そういった感情とは異なる、動揺。

 そもそも、『シンエヴァ』は僕の好きなある種の物語の類型に、とてもよく似ている。その点では、僕がこのエヴァンゲリオンシリーズの完結作を気に入るのも当然なのだが、しかし、そういった種の映画を見てこれほど動揺した経験もなかった。それらの映画というのは、『ソウルフル・ワールド』や『素晴らしき哉、人生!』、『ベルリン・天使の詩』、『魂のゆくえ』、『海獣の子供』、etc(Filmarksの記録から目に付いたものをピックアップしただけで、特に選出の意図はありません)。このどれもに共通するのが、広い意味での「人生賛歌」や「生命賛歌」といったテーマだろう。そうした素朴なテーマは時として嘘くさく、はりぼてのような理想論として目に映りがちではある。一方で、我々が生きていく上で必要な希望であることも確かだ。この辛く厳しい現実の裏側にある、人生の素晴らしさを掴みかける瞬間のかけがえのなさこそ、人間が世界に踏みとどまっていられる理由なのだ。

 では、エヴァシリーズにおいて、そうした人生賛歌が新劇場版の専売特許かというとそんなことはなく、むしろ、旧劇場版から一貫して訴えてきたところでもある。『 Air/まごころを、君に』のシリアスで一見不可解なラストと、『シンエヴァ』の爽やかで解放感のあるラストのコントラスト。しかし、どちらも人類補完計画を否定し、他者の理解不可能性を受け入れながら、ありのままの現実を生きていくことをシンジが選択する点では、同一のエンディングだと言えるだろう。もちろん両者に差異がないわけではないが。というよりも、その微妙な差こそ、ここで語りたい本題になる。

 今年に入って、『シンエヴァ』に備え、TV版と旧劇場版を復習した。中学生のころ以来なので、10年ぶりくらいだ。この間、なんとなくエヴァの話を分かったつもりでいたのだが、『 Air/まごころを、君に』を改めて見て、自分にとってここまでアクチュアル(上述のようなテーマを描いている点で)な内容だったのかと驚いた。そうして無事、僕の頭の中のアニメの殿堂においてエヴァ復権を果たし、揺るぎない地位を手にしたのである。……何が言いたいのかというと、旧シリーズがストレートに今の自分の自意識と繋がるものであったのに対し、新劇にはそうした自意識の真相にある核心を否が応にも意識させられる部分があったのだ。ならば、ほとんど同様の着地を描く両作の、その感触を分ける微妙な差異とはなにか。

 単刀直入に言えば、旧シリーズがシンジが「世界から祝福されて終わる」物語である一方、新劇はシンジが「世界を祝福して終わる」物語なのだ。旧シリーズでは、TV版最終話に表れているように、文字通りに「おめでとう」と言祝がれることで物語は幕を閉じる。対する『シンエヴァ』においては、シンジ自らが他のキャラクターたちに手を差し伸べて救い上げ、「さようなら」と労いの言葉をかけることで、終幕へ向かう。(それを念頭に置くと、『 Air/まごころを、君に』における「だったら僕に優しくしてよ」と『シンエヴァ』における「なんでみんな僕に優しくするんだよ」の対比が、それぞれ世界から祝福されていることに気が付く前振りと世界を祝福し返すことへの伏線であることがよく分かる)

 なぜその差異が自分の中でここまで大きく感触を分けるのか。いったん話を戻せば、僕が上で挙げたような映画群を好む理由というのが、結局のところ、世界は美しいし、そうした世界に生まれた自分は祝福されているのだと認めたいからなのだ。埋められない喪失感を抱えた現実を前にして、それでも認めたいからこそ、半ば強迫神経症的に、そういった物語を通して確かめることを、繰り返さずにはいられないのだ。他者と溶け合った宇宙の中にあって「おめでとう」の輪唱に囲まれたシンジ、あるいはメタ的に言えば自身の自我を投影したキャラクターにそう声をかける庵野、というのが、そうした自分と寸分違わぬことに気が付かされた恐怖。しかし、そう僕に気が付かせたのは旧劇ではなく、『シンエヴァ』だった。旧劇を見終えた時点では、この物語が自分のフェティッシュにそぐうものであるとしか思わなかった。それが『シンエヴァ』を見たことで、その僅かな差異の対比の中に、ああ、究極的には、僕はそっち側にいきたい、つまり、世界を祝福できるようになりたいのだなと、心に横たわっていたわだかまりの正体が理解できた。世界は自分を祝福しているはずなんだと己に言い聞かし、なんとか前へ進もうとする僕と旧シリーズのオーバーラップ。その祝福を受け止め、逆に、自分から世界へ祝福を返す『シンエヴァ』。

 本作を「大人になる」とか「生活をやる」、「居場所を見つける」といった視点から語る人の多いことは必然であろう。一方で、そうした視点から見れば、粗やツッコミどころ、承服しがたい部分の多い作品であり、評価が分かれるのも頷ける。しかし、最終的に庵野の、エヴァの立った場所が「世界を祝福すること」であり、そうした視点というのがそこへ辿り着くまでの過程であると思えば、意外にも旧シリーズから一直線に筋の通った物語であることが理解できるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

俺も世界を祝福したい。

マリ、俺を助けてくれ。